とある武士が自分の腹を切り命懸けで守り抜いた血みどろの家系図「チケンマロカシ」とは?
皆さんは、お父さんとお母さんの名前を知っていますか?……まぁ、知っていますよね。
では、お父さんとお母さんの、それぞれお父さんとお母さん、つまりお祖父さんとお祖母さんの名前も……知っていますよね、たぶん。
それでは、お祖父さんとお祖母さんの、それぞれお父さんとお母さん、つまり曾祖父(ひいおじい)さんと曾祖母(ひいおばあ)さんの名前……この辺りから、ご存じない方も増えて来るのではないでしょうか。
……とまぁこんな具合に、人間誰でも親のいない者はいないわけで、人類が誕生して以来、現代の私たちに至るまで、その血脈が受け継がれてきました。
血と家と、一族の絆時に、日本では血筋以上に「家」というつながり(家系)が重んじられ、それを代々受け継ぐことで一族のルーツを確かめ、助け合って生きる絆を強めたのです。
その記録を「家系図」と言い、かつて武士たちにとって、家系図はとても大切なものでした。
現代ではちょっと考えにくいことですが、家系図は「自分が何者であるか」を示す重要ツールとして、仕官の際に持参して、自分が「身元の確かな、信頼できる人間である」ことのアピールにも使われました。
言うなれば家系図は、血統書であり、身分証明書であり、時に履歴書でもあった訳です。
例えば「かの武勇名高き何某(なにがし)の子孫であるから、武勇にすぐれているだろう」云々……もちろん、それを証明する本人の裏づけ(能力・実績など)は必要ですが、武士たちは自分が自分一人ではなく、一族郎党はもちろん、代々の祖先までひっくるめた「御家(おいえ)」の一員・いち細胞のような感覚で生きていたことがわかります。
自分が恥ずべき振舞いに及べば、それは自分個人でなく、一族郎党や祖先の名誉を損ない、ひいては子孫たちにまで迷惑をかけてしまう……そんな想いが、武士たちの振舞いに独自の美徳と道理を備わせました。
さて、今回はそんな家系図にまつわる、とある武士の壮絶なエピソードを紹介したいと思います。
人呼んで「チケンマロカシ」……「血みどろの巻物」という意味です。
焼け落ちる館と、殿様の心残り
「目黒行人坂火事絵」より。
昔むかし、岩城国宇多郡中村(現:福島県相馬市)には、鎌倉時代から相馬(そうま)氏という大名がいました。
いつの事か定かではありませんが、ある時、この相馬氏の館が大火事で焼けてしまいました。
不幸中の幸い、死傷者は出なかったそうですが、相馬の殿様は言います。
「家や財産はまた用意すればいいから、焼けてしまっても気にしない。ただ、我が家の大切な宝であった先祖代々の家系図だけは心残りだなぁ……」
【原文】「家居も器材も追附(おっつけ)作りて出来るものなれば、残らず焼いて苦しからず候。然れども當家(とうけ)第一の重寶の系圖を取り出さゞる事残念なり」
この時代、コピーなんて当然ありませんから、手間暇かけて書写していなければ、それが焼けたらそれっきり。

相馬氏の祖・千葉常胤像。
相馬家の祖先・師常(もろつね。鎌倉幕府の御家人・千葉常胤の次男)から代々受け継がれて来た正統な家系が失われてしまいます。
もちろん事実は残っても、記録の有無はその信憑性に大きく影響しますから、殿様の嘆きようは至極もっともな事。
そんな殿様に、ある男が声をかけました。
今こそ、お役に立つとき!
「(殿の大切な家系図、)拙者が取って参ります」
【原文】「拙者取り出し申すべき」
果たしてその男は殿様の供回り、申し出こそは勇ましいが、この男、なにぶん不辨(ふべん。不調法)者で、平素からあまり役に立たないことで評判が悪い。
それでも何か見どころがある(首尾これある人)かも知れないから、と殿様の傍で奉公していたのですが、
「もう館はすっかり炎上しているのに、どうやって取り出そうってんだい」
【原文】「最早家々残らず火かゝり候へば、何として取り出すべきや」
と、みんな揃って苦笑い。
しかし、男は大真面目に答えます。
「いつも不器用で役立たずな拙者ですが、いつかこの命に代えてもお役に立ちたいと覚悟しておりました。今こそその時です」
【原文】「日頃は不調法者にて御用にも相立たず候へども、いつぞ一命を御用に立つべしと覚悟致し罷り在り候。この節にてこれあるべし」
そう言うなり燃え盛る館の中へ飛び込んで行った男は、二度と戻って来ませんでした。
何としても、家系図だけは!「だから言ったのに……」
男は燃え盛る炎から逃げきれず、焼け死んでしまったのでしょう。
やがて火事もすっかり収まり、焼け跡の始末に家来たちが入って行きました。
さて、あの男はどこで死んでいるだろう。
あちこち片づけていると、果たして男の焼死体は、殿様の居間よりほど近い庭先で、真っ黒こげにうずくまっていました。
「これがあの男の亡骸か。可哀想に……」
【原文】「右の者の死骸なりとも見出し候様に。不憫の事に候」
供養してやろうと運び上げたところ、腹部から血が流れています。
「きっと、あまりの熱さに耐えかねて、もはやこれまでと自害したのだろう……」
と、その時です。男の腹部からボロボロ、ズルズルこぼれ落ちた内臓と一緒に、何やら巻物が出て来ました。
「……これは!」
巻物を検(あらた)めると、それこそ殿様が家屋敷や財宝よりも惜しんだ先祖代々の家系図です。

つまり、この男は燃え盛る炎の中、少しでも家系図が燃えないように自分の腹を掻っ捌き、その中にしまい込んでいたのです。
当然、巻物は血みどろですが、それでも焼けずに残すことが出来ました。
「いつぞ一命を御用に立つべしと……」
この時のためにこそ、男は平素の恥を忍び、文字通り懸命に奉公してきたのです。
以来、この相馬氏に伝わる家系図は「チケンマロカシ」あるいは「血系図」と呼ばれ、誰もが男の篤い忠義をもって「日本一の家系図」と称えたのでした。
※田代陣基『葉隠聞書』第十巻、六十九話より。
終わりに
……さて、この話を聞いて、皆さんはどう思われたでしょうか。
おそらく、大方は「何もそこまでしなくても……」「家系図なんかのために……」といったご感想でしょうか。
少なくとも、これまで私が語り聞かせた限り、そうした反応がほとんどで、中には理解のゲージを振り切ってしまったのか、怒りだす方までいました。
しかし、家とは元来「そういうもの」です。
名のないものは「存在しない」のと同じ。人は必ず死にますが、名前を伝えることで、思いが通じることもあります。
「自分が死んでも、どうか忘れないで欲しい」
「自分が生まれ、生きたこと、そして死んでいくことに、何かしらの意味が、価値があって欲しい」
往時の武士たちにとって、そうした人々の想いが綴られた記録こそ家系図であり、かけがえのない宝物だったのです。
自分一代で終わると思えば虚しい人生ですが、先祖からの想いを受け継ぎ、子孫へと伝えていく営みにこそ、人間という生き物の価値があります。
「過去への感謝と、未来への責任」
私たちも歴史の一員として、祖先や子孫に恥じない生き方を心がけたいものです。
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