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“超人”ハルク・ホーガンが約3年ぶりにWWE復帰!

 世界最大のプロレス団体WWEは現地時間2日、サウジアラビア・リアドのキング・サウジ・ユニバーシティ・スタジアムでPPV『クラウン・ジュエル』を開催した。近年、WWEはイスラム圏の需要を掘り起こそうとしており、今回のPPVもその一環と言われている。

 オープニングでは、日本でもおなじみの“世界のスーパースター”ハルク・ホーガンがサプライズで登場。『リアル・アメリカン』の入場曲をバックに、ホーガンは真っ赤なバンダナにタンクトップ、黄色いサングラス姿でリングに上がった。

 ホーガンは来日時、新日本プロレスでスタン・ハンセンとのタッグで急成長。ハンセンが新日本から全日本に移籍した後は、ハンセンのウエスタン・ラリアットをアレンジしたアックスボンバーを必殺技に据え、新日本本隊(日本人側)の助っ人外国人としてアントニオ猪木とタッグを結成。映画『ロッキー3』に出演したこともあり、日本での人気が爆発。『イチバン!』の叫び声は当時流行した。現在でも日本の土産で『一番』Tシャツが見られるが、これはホーガンの影響である。

 そして、ホーガンの名とステータスを一気に押し上げたのが、1983年6月2日に蔵前国技館で開催された『第1回IWGP決勝リーグ戦』の優勝決定戦。対戦相手は師弟関係を築いていた猪木だった。この試合は今見返しても名勝負だった。ホーガンはグラウンドのレスリングや関節技を好んで使っていた。当時実況を務めていた古舘伊知郎氏は「生き写し」と表現していたが、言うまでもなく猪木の影響。また師匠が日本人の故・ヒロ・マツダ氏だったことも大きいと言われている。『猪木優勝』が確実視されていた中、この試合でホーガンはエプロンの猪木にアックスボンバーを放つと、猪木はセコンドの力を借りてリングに上がったものの、舌を出しながら失神して立ち上がれず。ホーガンのKO勝ちと判定された。

 当時のIWGPは他の格闘技の大会と同様、優勝賞金とともにベルトを与えるスタンスだったことから、ホーガンは第1回IWGP優勝者であっても、初代王者とはならなかった。タイトル化したのは1987年からで、猪木が初代王者となっている。

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