上杉謙信は同性愛者だった?いや、本当は女性だった?「上杉謙信、実は女性」説を検証してみる (2/3ページ)

Japaaan

江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった

また謙信は、第四次川中島や七尾城の戦いにおいて、戦闘中にもかかわらず毎月10日前後に腹痛を起こし、兵を引いていたという記録もあり、これは女性の月経のためではないかとも指摘されています。

上杉謙信 着用の着物が女性的?

さらに、織田信長は謙信に源氏物語屏風を贈っていますが、屏風を贈る行為は、当時の慣習では女性に向けてなされることが一般的でした。また、謙信は恋愛をテーマにした物語である『源氏物語』を好んだと伝えられています。

現在、山形県にある上杉神社には、謙信着用と伝えらえている着物が、信長が贈ったものも含めて複数残されていますが、そのデザインが女性的なものであるということも指摘されています。

肖像画についても謎が残ります。謙信の生きていた時期と近い時期に作成された肖像画は多くが僧形の形をとっており、髭もないフェミニンな印象を受けるものが多くあります。

上杉謙信

また、上杉謙信の出陣をテーマに唄った瞽女唄(※)の歌詞には、「寅年寅月寅日に生まれたまんとら様(政虎?)は、城山さまのおん為に赤槍立ててご出陣。男も及ばぬ大力無双」と唄い、寅年寅月寅日生まれで政虎と名乗った謙信を女性として讃えているような下りがあります。

「上杉謙信は同性愛者だった?いや、本当は女性だった?「上杉謙信、実は女性」説を検証してみる」のページです。デイリーニュースオンラインは、上杉謙信戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る