台東区根岸の西蔵院に祀られている「お行の松」について調べてみた (1/4ページ)

心に残る家族葬

台東区根岸の西蔵院に祀られている「お行の松」について調べてみた

今年は台風が多く発生した。例えば台風24号は、9月29日に沖縄付近を強い勢力で通過し、翌日には和歌山県に上陸し、近畿から東北を縦断し北海道まで進んだ。最大瞬間風速は鹿児島県で56.6メートル、降水量の最大値は宮崎県で96.6ミリと記録的な猛威を振るった。これによってJR四ツ谷駅の線路内に木が倒れる事故が起こった。撤去のため、東京新宿間はしばらく運行停止を余儀なくされ利用客に大きな打撃を与えた。ところで、撤去されたあの木はどうなったのだろうか。東京の下町・台東区根岸には、「枯れた木」が大切に祀られている。その「枯れた木」とは、「お行の松」のことである。

■お行の松が祀られている西蔵院境外仏堂不動堂とは

「お行の松」は、東京都台東区根岸4丁目の「お行の松不動尊」がある西蔵院境外仏堂不動堂内にある。

この不動堂は諸説あるが、「出羽国(でわのくに)湯殿山(ゆどのさん)の末寺大日坊の所在せし所なるが、常州(じょうしゅう)佐竹(さたけ)の一族岡田左衛門なる者が、先祖の由緒ある所ゆえにて、宝暦年中(1751〜64)、文覚(もんがく)聖人の手彫りの1寸8分の不動尊を石の唐櫃に納めて、これを松の下に埋め、その印にとして石の不動尊を置いた」とのこと。

そして文化3年の江戸大火の後、比丘尼の貞照がこの地の里人ならびに真言宗の福生院主(明治維新前後に廃寺)と力を合わせ、再び庵を結び、不動堂を建立した。その際、堂内に石像を安置し、土中の石櫃も掘り出して、この地に埋めたと言われている。

■「お行の松」の名前の由来とは


そして「お行の松」の名前の由来だが、宝暦以降に呼ばれるようになったとのことで、それは、歴代輪王寺宮(りんのうじのみや。かつて存在した門跡のひとつで、上野の東叡山寛永寺に常住していた)がその在任中に1度、「御加行(ごけぎょう)」「御繞堂(ごぎょどう)」と言って、100日間、毎朝、種々の修法を行い、上野山内の寺社を巡拝した際、根岸の御隠殿(ごいんでん。

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