非業の死を遂げた名力士 「蔵間(関脇)」 (2/4ページ)

週刊実話

入幕して間もない頃、天覧相撲の折りに説明役だった春日野理事長(元横綱栃錦)に、
「蔵間はどうなの?」
 とお尋ねになると、
「あれは(いずれ)大関になります」
 と、春日野理事長は自信たっぷりにお答えした。

 ところが、大関候補に名前が挙がるものの、いっこうに射止める気配がない。このため、昭和天皇も天覧相撲のたびに、
「蔵間は(なかなか)上がらないねえ」
 と残念そうにお話しになり、春日野理事長はいたく恐縮。あとで蔵間を理事長室に呼んで、こう叱責したという。

「俺は天皇陛下にウソを申し上げてしまった。しっかりしろ」

 どうして蔵間は“善戦マン”と呼ばれ、横綱、大関と力の入った大相撲を取るものの、ついに大関の壁は破れなかったのか。

 これは、相撲があまりにも左四つがっぷりの正攻法だったことが大きい。自分は十分の体勢だったが、相手はそれ以上の十二分。その上、攻めが遅いこともあって、いいところまで攻め込むものの、あと一歩のところで力尽きるのだ。

 横綱との生涯対戦成績はなんと2勝44敗。昭和53年夏場所には自己最高位の西関脇まで上がっているが、3勝12敗と大敗している。

 しかし、美男で会話も軽妙だったため、その周りはいつもにぎやかで、様々な面でバックアップしてくれるタニマチも多かった。なにしろ横綱、大関でもないのに、あの横綱輪島の向こうを張るようにピカピカのリンカーン・コンチネンタルや高級車のベンツを乗り回し、千葉県市川市に“蔵間御殿”と呼ばれる豪邸を建て、昭和57年6月には女優の渡辺やよいと結婚しているのだ。

「相撲はそんなに強くならなくていいから、ああいう生活をしたい」と、当時の若い力士が憧れる力士ナンバーワンになり、
「最近の新弟子は、蔵間を見習って稽古をしようとせず、女の子の尻ばっかり追いかけまわしている」
 と、親方たちは渋い顔をしたものだった。

 当時の蔵間がどのくらい羽振りがよかったか。付け人の1人は、こんな証言をしている。
「財布の中には、いつも300万円は入っていましたね。散々、散財してサイフが凹むと、いつの間にか、また元の厚みに戻っているんですよ。

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