坂本龍馬の北海道移住の遺志を叶えた子孫。なぜ土佐の坂本家は北海道へ渡ったのか? (2/3ページ)
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坂本龍馬
「小弟ハエゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出に候間、何とぞ一人でなりともやり付申べくと存居候」
と思いを綴っていましたが、ご存じの通り夢半ば、京都近江屋で暗殺されてしまいます。
坂本直寛氏(Wikipediaより)
龍馬には自分の子供はいませんでした。北海道移住の遺志は、甥の坂本直寛(なおひろ)が叶えることになります。直寛氏は、1906年生まれで立志学舎出身。立志学舎は土佐に開設した教育機関で、自由民権運動士族政社の一つです。
彼も明治政府に建白書を提出したり、投獄されたりと龍馬にたがわぬ熱血ぶり。紆余曲折を経て、初期は懐疑的に接していたキリスト教に入信します。
武市安哉氏(Wikipediaより)
親戚で国会議員の武市安哉氏と、開拓用地払下げ問題の財務調査で北海道に渡ったときに転機が訪れます。兼ねてから2人で話していた龍馬の夢とキリスト教の理想郷を、北海道の石狩平野に見いだしたのです。
安哉氏は国会議員をやめ、教会と農場を建設、おのおの聖園教会と聖園農場と名づけました。安哉氏はあの土佐藩士・武市半平太の子孫で、戊辰戦争にも参加したことがあり、直寛と同じくクリスチャンでした。
しかし彼が急死してしまったことで、直寛氏は安哉氏の農場などを継ぐよう移住を決意。それが明治30年(1897年)のこと。
その直寛氏の孫にあたるのが、直行氏です。