1984年の私と『男坂』:ロマン優光連載123 (3/4ページ)
途中で経済戦になったり、仲間の不良が石油をボロい船で運ぶ途中で襲撃されてバタバタ死ぬシーンなど、発表されてから、かなり時間のたった当時でも衝撃的だったし斬新に感じた。『男坂』の方が私の既知のものだけで構成されている感があった。
当時、私が一番気になっていたのが喧嘩鬼の存在である。山奥で喧嘩の修行をしている伝説の存在である。超自然的な存在ではなさそうだし、伝説の古武道を伝える謎の武人という感じでもない。ただ喧嘩の修行をしているだけで、よくわからない。特に神秘的でもなければ、合理的なバックボーンが語られるわけでもないので、当時の私はどう捉えるべきなのか非常に悩んだものだ。嘘です。たいていは存在を忘れていました。「108のなんとかって、カメハメでも意識してるのか?」とか思ってました。
現在の自分が考えるに、当時感じていたことは、「車田先生が10年余の歳月をかけて構想しているうちに10余年分時代からズレてしまった」「『男一匹ガキ大将』のオマージュであり、二次創作的な性格を持つ。そのため元作品が常に頭の中にあるので、自分の独自解釈をしている部分や好きな部分以外を書くのを忘れていたのでは。」「時代遅れ感のある本作だが、そういうマイナス要素を払拭して子供の心を掴むために考えられた斬新な仕掛けが喧嘩鬼の設定と菊川仁義の出生の秘密なのだろう。しかし、書きたいこと書いてるうちに転がすのを忘れてしまったのではないか。」といった解釈をすることもできる。ようするに、私にとって『男坂』とは、当時は子供なりに色々な欠点が見受けられた作品であり、後年なんとなく理由がわかってきたという感じなのだ。
ただ、好きか嫌いか聞かれたら、話は別だ。私は迷わず「あの時の『男坂』が好きだ」と答えるだろう。
やれ「未完」だとか、やれ「 オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな 」とかばかり言い出すような連中が私は嫌いだ。赤城のウルフが出てきた時のワクワクした感じとか色々あるじゃないか。私は年に三回は「ミッドナイト・スペシャル」という言葉を口に出して生きてきたし、これからもそうだ。今年は10回は口に出した。欠点を感じるということと好き嫌いは全く関係のない話だ。勢いあまりすぎて上手く回ってなかったけど、わけのわからない熱さだけは伝わってきて、そこが大切だった。