混沌の極み!みかんラブな日本で起きた明治時代のミカン抗争!江戸時代にはミカン税も (2/3ページ)
貞享2年(1685年)、ミカン豊作だったにも関わらず悪天候が続き江戸へ運べなかった年に、西では過剰供給で暴落していたミカンを買い集めて大荒れの海に船を出し、決死の運搬に成功した話が有名です。
紀伊國屋は冨を手にしたのみならず、ミカンを心待ちにしていた江戸っ子たちの心もわしづかみ。この時の様子がカッポレ節にも登場、「沖の暗いのに 白帆が~見ゆる、あれは紀伊の国 ミカン船じゃ」と、唄になっています。
『日本商業史要』横井時冬著 (金港堂, 1899) :国立国会図書館デジタルコレクションより
紀州藩・初代藩主浅野幸長らはミカン栽培を積極的に奨励。「密柑税」という税を課し、藩財政の貴重な財源としました。
農民たちは「密柑方」という共同出荷組織を寛永年間から享保年間(1624~1736年)にかけて作り上げ、ミカンの荷受けから輸送手配、問屋への販売を一手に掌握。藩は役員に半官半民の特権を与えて、密柑税を徴収させました。なんと武士と同じように通行手形と帯刀を許し、江戸など商業地での活動を支援したそうです。
幕末に描かれた浮世絵では、紀州の殿様がミカンとして描かれているものも。藩の殿様が特産品として描かれた風刺画ですね。
「青物魚軍勢大合戰之圖」歌川 広景(安政6年)
明治維新でミカン下克上大政奉還、明治維新でその体制は揺らぎます。藩そのものがなくなったのだから当然ですよね。