なぜ「エリア51」と呼ばれているのか?その名前の謎を探る (3/5ページ)

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 そして4度の一連の実験が行われたのち、それ以降のほぼすべて(いくつかの例外がある)の実験区画は通し番号で呼ばれるようになる。

 その最初が1951年10月から11月にかけて実施されたバスター・ジャングル作戦が行われたエリア7であり、この慣例が現在まで続くこととなった。


・核実験エリアとナンバリング

 ネバダ核実験場の公式資料によれば、エリアの番号は実験区画に指定されたときに振られたそうで、その位置は資料の地図で確認できる。

 「どのエリアを実験場に指定するかは、パターン化するのを防ぐために、無作為」に行われたらしいが、それを行なったアメリカ原子力委員会の担当者はかなり合理的な精神の持ち主だったようで、番号は1~30で始められた。

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image credit:wikimedia commons


 地図をよく見てみると13、21、24、28が欠けていることが分かる。

 じつはこれらの番号も核実験場の名称としてきちんと使用されている。ただ、ネバダ核実験場の外にあるのだ。

 たとえば、エリア13はネバダ核実験場外の北東部にあり、エリア24は国家核安全保障局のネバダ州支局が管理するラスベガス施設のことだ。

 またエリア28は核実験場南西部のエリア25と27の隣に指定されていたが、やがて両エリアに合併された。

 エリア21は特定が難しい。
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