五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(4)車の運転をやめて男をやめた気分に (2/3ページ)

アサ芸プラス

椎名 非常に知的な運転のやめ方ですね(笑)。

五木 こないだ北方謙三さんにその話をしたら、彼も運転をやめて自分の愛車を車庫から出して別れるときに、愛飲してる高級ワインをその車のタイヤにかけて送りだしたとか、いかにも彼らしいことを言ってましたけど(笑)。

椎名 北方さんが、ああ言いそうだなあ(笑)。マセラッティでしたかね。

五木 彼はマセラッティ一本槍でしょう。ハードボイルドでもやはり老いを感じるもんなんだよね(笑)。

椎名 ハハハ、そうですね。

椎名 ぼくは死んだあとどうなるとか、自分の死についてはあまり実感がなくて。

五木 以前、元検事総長が書かれた『人は死ねばゴミになる』(伊藤栄樹著・小学館文庫)という本が、かなりショッキングな内容でした。と、同時に死ねば本当に宇宙のゴミになってしまうのか、果たして死がすべての終わりかどうかということも考えさせられた。故・丹波哲郎の古い対談で、大霊界とか死後の世界について問われて、「死後の世界から帰って来た人がひとりもいない。よっぽどいいところだと思う」と。丹波さんも霊界に行ったまま帰ってきませんが(笑)。

椎名 ハハハ(笑)。

五木 昔は死後のことを“後生(ごしょう)”と言ったんですね。お寺さんに後生をおあずけしてあるからというような言い方で。死んだあとも行くべき場所があるという感じ。ある意味でイスラム教の天国観みたいな確固たる信念があった。それで死というものをそんなに悲壮でなく受け止めていたのかも知れません。いま我々に死後の世界の感覚があるかといえば、やはりあまりないんじゃないでしょうか。

五木寛之(いつき・ひろゆき):1932(昭和7)年、福岡県生まれ。作家。北朝鮮からの引き揚げを体験。

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