五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(5)存在すべてを消すチベットの鳥葬 (1/3ページ)
椎名 日本人の死生観については、死と墓を結びつけて考え過ぎてるのではないかとぼくは思っています。大昔は死んだらそれこそ野ざらしでそのあたりの谷に死体を捨てても大丈夫だった。いまはそういう自由がなくなっちゃってるから、日本の死生観ってのがおかしくなってるんじゃないかなと思うんですね。いろんな国を旅して、死生観の違いを強く感じましたね。
五木 死に関する慣習について、どこの国に興味深いものがありました?
椎名 チベットには3度ほど行きましたけども、古都ラサからチベット仏教の聖地のカイラスに行くまでに1000㎞あるんですが、その途中のいたるところに“鳥葬場”があるんです。
五木 まさに野ざらしの葬り方ですね。
椎名 日本人の感覚だと、鳥葬というと、残酷だとかって思われるんですけども、チベットの人たちは、死というものを非常に“裕福なもの”と考えているみたいです。巡礼にしても何にしても、貢ぐというか喜捨をすることで成り立っているところがあって、死ぬとその肉体は腹を空かせたコンドルやカラスや犬にあげるということなんですね。輪廻転生を含めてとても有効に活用しているところが、非常に面白いなと思いました。ほんとに何にもなくなっちゃうんです。
五木 鳥葬といっても骨だけは残るんじゃないの?
椎名 骨も砕くんです。砕いた骨をツァンパという遊牧民の主食の裸大麦の粉に、ヤクという大きな牛のミルクで捏ねてくるむんですね。そうするとコンドルが食べやすくなって、骨まで食べてしまうんです。そしてその人が写ってる写真もなにもかも捨ててしまう。この世の中からその人の記録を全部なくしてしまうんです。
五木 記憶も記録も消してしまうということか。
椎名 究極、施しの美学といいますかね。
五木 なるほど。