初夢で七福神を見る方法?信心深い江戸っ子たちは元日から大晦日まで神頼みの日々

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初夢で七福神を見る方法?信心深い江戸っ子たちは元日から大晦日まで神頼みの日々

縁結びや商売繁盛など、神社で願掛けしたことがある方は、きっと多いはず。江戸の人々も、願かけのために、いろんな場所に足を運んでいました。

縁結びで有名な今戸神社(台東区)や心願成就の富岡八幡宮(江東区)も、人気スポットの一つ。江戸時代中期には、稲荷信仰も大流行!老中の田沼意次が信仰していたのが稲荷神社で、彼が大出世したことで、御利益があるんじゃないかと一気に広まったのです。

江戸市中だけでも、稲荷神社は三万社以上あったというから、かなり多かったことがわかります。二月最初の午の日には、お稲荷さんのお祭りで、それはたいそう賑やかでした。

親しみやすい神様「七福神」

親しみやすい神様といえば、七福神です。初夢で七福神を見れたら福運と言われていました。だから、一月二日夜、枕の下に宝舟の描かれた紙を敷いたら、きっといい夢が見られると信じる人が多かったのです。

歌川房種「七福神宝之入船」

信心深い江戸っ子たちに人気だったのが、宝舟の描かれた紙を売る商売「お宝売り」です。きっと、一枚摺りの宝船の絵をこぞって買い求める江戸っ子が多かったのでしょう。

富士に行けない人のために「小富士」が築かれた

また、交通網が整い旅行しやすくなると、富士講・伊勢詣など、信仰のための旅行も盛んになりました。しかし、中には、老人・女・子供など富士に行きたくてもいけない人も…。

そんな人たちの役に立ったのが、富士を模した築山です。江戸近郊の農村・目黒には、本富士・新富士と二つの小富士が築かれました。ちなみに新富士の高さは四丈(約十二メートル)でしたが、眺めは絶妙だったそう。

神や死者の霊を呼び寄せる占い「梓巫子(あずさみこ)」

占いも、当時大人気でした。占いの本も豊富に揃っていて、手相や人相、夢占い、生年月日占いなど、実に様々。町にも大体占い師がいたそう。占い師は、先の見えない不安を抱えた江戸っ子にとって、進むべき道を示してくれる大切な存在だったのです。

珍しい占いでは、「梓巫子(あずさみこ)」というものがありました。これは、梓の木でつくった弓の弦を叩いて、神や死者の霊を呼び寄せる占いです。そして、言葉を代弁して吉凶を占うとのこと。ほかにも人相見、陰陽師など。科学や医学が発達していなかった江戸時代、医者にかかることもできない庶民にとっては、神頼みしかなかったのかもしれませんね。

参考文献:女子のためのお江戸案内大江戸ものしり図鑑図解落語入門

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