手塩にかけたTOKIOに向かってジャニー喜多川社長がかけた“まさか”の一言!

アサジョ

手塩にかけたTOKIOに向かってジャニー喜多川社長がかけた“まさか”の一言!

 TOKIOにとって昨年は、グループ史上最大の試練を迎えた1年だったに違いない。TOKIOの正式結成前から、リーダーの城島茂と音楽づくりに励んできた山口達也が、不祥事によって脱退、ジャニーズ事務所を解雇されたことは記憶に新しい。ベーシストの山口が抜けたことによって、音楽活動は無期限休止中。歌唱、演奏に加え、作詞・作曲・編曲までこなすオールマイティーな5人だっただけに、可能性が閉ざされたことは悔やまれる。

 TOKIOはデビュー時、80年代に旋風を巻き起こした男闘呼組のロックイズムを継承すると目されたため、ジャニー喜多川社長が特にかわいがったことがあった。しかし、時には裏目に出ることもあったという。衝撃のエピソードを明かすのは長年アイドル誌で活躍するライターだ。

「10周年記念のときにアリーナツアーをしたんですが、大阪城ホールにジャニー喜多川社長が駆けつけてくれたそうです。TOKIOはステージに向かう3分前、全員で円陣を組んで、『よっしゃ、行くぞ』『よろしく!』『オー!』『よろしくー!』と気合を入れ合うんですが、そのあと、ひょっこりとジャニーさんが現れて『YOU、うどんが届いたよ』と(笑)。あきれるメンバーをよそに、『ここのうどん食べないの、ダメだよ。もったいないよなぁ』と平然と続けたそうです」

 メンバーはさすがに食べる余裕を持ち合わせていなかったが、ジャニーさんのキモチだけは、しかと受け止めたという。

 TOKIOを寵愛するジャニーさんは、あえて彼らにハードなスケジュールを与えた。それは場数を踏ませるため。

「CDデビューは94年9月ですが、その年は1月から超多忙でした。1stコンサートツアーで全国7カ所を周り、3月から5月は3都市で12公演。5月は大阪・松竹座で1日10公演という記録を作り、全席完売しています。この2カ月後、日本武道館でデビュー発表記者会見。翌8月は全国9カ所でコンサート、翌9月にようやくデビューにこぎ着けました」(前出・アイドル誌ライター)

 伝説の1日10公演までメインボーカルを務めたのは小島啓さんだった。この5人でデビューするものだと誰もが信じて疑わなかったが、武道館のデビュー会見の場に現れたのは、サポートメンバーでタンバリンを叩いていた弱冠15歳の長瀬。結果的に、土壇場のメンバーチェンジはいいほうに転がった。

 怒涛の伝説とともに生まれた5人組・TOKIO。デビューから24年、ミュージシャンとして活動を休止しているのが残念でならない。

(北村ともこ)

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