ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【1】 (2/5ページ)
伊藤&辰巳の『キタロー(奇太郎)』をヒントに『鬼太郎』を描き始めたことは水木自身が明言しています。『墓場の鬼太郎』と改題して漫画化する際は、伊藤正美の諒解を得ています。きちんと筋を通しているんですね。
それでもなお、『キタロー』は『鬼太郎』の大切なルーツではあるが、2つは別の作品だということができます。果たして『ハカバキタロー』とはどんな物語で、どんな経緯を経て『ゲゲゲの鬼太郎』へと変化していったののでしょうか。
前置きが長くなりましたが、まずは水木しげるが紙芝居に出会い『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出すまでをのぞいてみましょう。
それは「水木荘」からはじまった昭和25(1950)年に兵庫県神戸市で、当時の紙芝居業界の大物「加太こうじ」、紙芝居の語りの名人「鈴木勝丸」、そして駆け出しの紙芝居作家だった「武良茂」(のちの水木しげる)が出会ったことによって『ゲゲゲの鬼太郎』が生まれることになります。
この3人が繋がるきっかけは「水木荘」という名のアパートでした。
水木荘とは何なのか?順を追ってご説明します。第二次世界大戦が終わり戦地から帰還した青年・武良茂は、様々な職を転々とした後、昭和25(1950)年頃から神戸市でアパート経営をすることになります。そのアパートは「水木通り」の前に建っていたので、茂は「水木荘」と名付けました。
このアパートの住人は変わり者ばかりでした。国際ギャング団の一員や空き巣の常習犯までいて、家賃を滞納されることも多かったようです。そんな住人の一人に、紙芝居作家を生業としていた男がいました。
茂は、かねてより「好きな絵で食う生活がしたい」と願っていました。そこで、この紙芝居作家に「貸元」と呼ばれる紙芝居の元締めの一つ「林画劇社」を紹介してもらい、紙芝居作家になります。茂にとって、またとない幸運でした。