ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【1】 (3/5ページ)

Japaaan

紙芝居作家「水木しげる」誕生

紙芝居を書き始めてまもなく、茂は林画劇社の顧問を勤めていた鈴木勝丸と知り合います。

鈴木勝丸は、明治37(1904)年に東京・神田に生まれた生粋の江戸っ子。紙芝居の草創期から「説明者」として活躍しました。説明者とは、いわゆる「紙芝居屋のおじさん」のことです。

鈴木は語りの名人でした。「勝丸調」と呼ばれる名調子が評判を呼び、彼が語る紙芝居のレコードが発売されたほどです。芸達者であり紙芝居に情熱を傾けた人物だったものの、商才はありませんでした。金銭面で苦労した鈴木は、戦後、妻の実家がある神戸に移り住みます。

その後も関西の紙芝居業界に関わり、武良茂と出会うことになったのです。

鈴木は独立して「阪神画劇社」を立ち上げます。その際、新人だった茂を専属作家として招き入れました。

この辺りから茂は「水木しげる」を名乗るようになります。その原因も鈴木勝丸でした。鈴木は武良茂という名前を一向に覚えず、アパート名から「水木さん」とばかり呼んだのです。いちいち訂正するのが面倒になった茂は「じゃあ水木でいいや」と思ったといいます。そして結局「水木しげる」が生涯のペンネームとなったのでした。

ちなみに鈴木勝丸は、ドラマ『ゲゲゲの女房』に登場する紙芝居屋・杉浦音松のモデルだといわれています。

こうして紙芝居作家になった武良茂改め水木しげるに、鈴木はある頼み事をします。

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