竜馬も”おかあ”と呼んで慕った。幕末期に討幕派志士を支えた寺田屋の女将・お登勢 (1/2ページ)

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竜馬も”おかあ”と呼んで慕った。幕末期に討幕派志士を支えた寺田屋の女将・お登勢

幕末に日本を動かし、変えようとした人物といえば数多くいますが、そんな男たちを支えた、女性たちがいたことも忘れてはならないでしょう。

今回は、そんな女性たちの中の一人、寺田屋の女将・お登勢のエピソードについて紹介します。

寺田屋の経営を取り仕切りるお登勢

お登勢は、近江国大津で旅館を経営していた大本重兵衛の次女として生まれました。18歳で、伏見南浜の船宿である寺田屋の第6代目主人寺田屋伊助の妻となり、一男二女をもうけますが、夫伊助は放蕩者で、経営していた旅館は赤字続き…。

そこでお登勢が代わりに寺田屋の経営を取り仕切り、姑の面倒も見ていました。伊助が35歳で亡くなると、お登勢はそのまま女将として家業を続けることになります。

寺田屋お登勢 wikipediaより

寺田屋は薩摩藩の定宿となっており、普段から討幕派の人間が多く出入りしていました。面倒見の良い性格のお登勢は、普段からかいがいしく彼らの世話をよくしたといわれています。

幕末の様々な騒動の舞台となる寺田屋

1862年(文久2年)、寺田屋騒動が発生。薩摩藩攘夷派藩士と薩摩藩主・島津久光が斬り合いを行なった際、お登勢もその場にいて3歳の次女を竈に隠して帳場を守ったと伝えられています。事件後、寺田屋に薩摩藩からの見舞金が入り、お登勢は、使用人に命じて即座に畳や襖を取り替えて、すぐに営業できるように整えたといいます。

1866(慶応二)年の1月21日、女将のお登勢が切り盛りしている寺田屋に新選組がやってきました。寺田屋は当時、薩摩藩士の常宿になっていたことで取り締まりの対象になったのでした。このとき、宿泊していた長州藩士の三吉慎蔵は、お登勢の機転で難を逃れることができたといいます。

また、同年23日、薩長同盟をまとめた龍馬が寺田屋に宿泊しました。

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