丸、松本、篠塚…長嶋茂雄が見出した「巨人選手秘話」 (3/3ページ)

日刊大衆

それで、12月に多摩川のグラウンドでミスター自らノックして、サードの守備を仕込んだんですよ」(前同)

 特訓の甲斐あり、高田は三塁手に定着。外野手時代に獲得したゴールデングラブ賞の栄光に、内野手としても輝いている。

 “青い稲妻”の異名を取った松本匡史も、長嶋に見出された選手だ。「松本は、早大から社会人野球の日本生命に進むことが決まっていましたが、ミスターの鶴のひと声でドラフト5位で指名されたんです。ミスターは、松本の脚力を高く評価していましたね」(前出の球界関係者)

 入団後しばらくは鳴かず飛ばずの状態が続いたが、79年に外野コンバートが言い渡されてから覚醒する。「伝説の“地獄の伊東キャンプ”では、ミスターから、出塁率を上げるために左打ち転向を厳命されます。松本は慣れない左打ちで、一振りすると一歩進みながら、ホームからライトポールまで移動。さらに、そこからホームに戻るという特訓を繰り返していました。辛かったでしょうね。大の大人が、目に涙を浮かべながら素振りしていましたから……」(前同)

 選手のためなら鬼にもなる長嶋氏。松本はミスターのシゴキによって、不動のトップバッターに生まれ変わることができたのだ。

篠塚和典の才能も、長嶋さんは見抜いていました。75年のドラフトで巨人は篠塚を1位指名しましたが、当初、スカウト陣は猛反対していたといいます」(前出の記者OB)

 篠塚は銚子商業時代に肋膜炎を患っていたため、各球団とも指名を見送ることが分かっていたからだ。

「しかし、長嶋さんは“彼のミート技術は非凡だ”と獲得を命じ、プロ入り後は体力強化に務めさせ、その才能を開花させています。篠塚もこれを意気に感じ、“長嶋さんのためにも成功する”と、がむしゃらに頑張ったわけです」(前同)

 長嶋氏と篠塚の絆は強く、第2次長嶋政権時には、コーチを7年も務めている。

 さらに現在発売中の『週刊大衆』2月11日号では、原辰徳、松井秀喜といった巨人のスターから落合博満、前田智徳ら他球団のスラッガーまで、長嶋氏が見出した逸材たちを紹介している。

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