江戸時代、餓死者放置は当たり前!?人肉をも食べた恐ろしい飢饉の真実【その1】 (2/2ページ)

Japaaan

画像 天明飢饉之図(出典元 福島県教育委員会

上杉鷹山の米沢藩や松平定信の白河藩など何とか被害を最小限に止めて切り抜けた藩もあった中、なぜ弘前藩でこんな悲劇が起こったかというと、不作であったにもかかわらず、藩の借金を返済するために徴税の手を全く緩めなかったため。

民の命運は藩政の方針次第で振り回されていたのです。この時は江戸だけでなく大坂でも打ちこわしが頻発しました。

天明の打ちこわしを風刺した「新建哉亀蔵」国立国会図書館蔵

ちなみに疫病の流行も同時に重なり、最終的にこの飢饉で全国で92万人以上の人口が失われる結果となってしまいました。

(次回その2に続く)

参考文献:八幡和郎「本当は恐ろしい江戸時代」SB新書

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「江戸時代、餓死者放置は当たり前!?人肉をも食べた恐ろしい飢饉の真実【その1】」のページです。デイリーニュースオンラインは、飢餓江戸時代災害カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る