そんな理不尽な!しょうもない理由で改名させられた鎌倉幕府の御家人・北条時連のエピソード (3/4ページ)
銭を貫きまとめる「連-つら」。
「連(つら)とは銭に貫き通してまとめるヒモのこととて、卑しき庶民の道具にございます。まぁ……かつて紀貫之(きの つらゆき)なる歌仙(かせん。和歌のカリスマ)がおりましたが、彼にあやかろうなど厚かましい。早う改名なされた方が……」
【原文】時連の連の字は銭貨を貫く儀か。貫之歌仙たるによつて、その芳躅(ほうちょく)を訪(とぶら)ふか。かたがた然るべからず。早く名を改むべき……
※『吾妻鏡』建仁二年6月25日条
そのやりとりを聞いていた頼家公は、時連を嘲り笑いながら改名を勧めます。
「はあ。然らば『時房(ときふさ)』とでも……」
不承不承ながらも時連は改名に同意し、後に北条時「房」と名乗るようになったのですが……。
「許せない!」尼御台・北条政子の大激怒そんな理不尽な改名に納得できないのが、頼朝公の未亡人で頼家公の母親、そして時連改め時房の姉である尼御台こと北条政子(ほうじょうの まさこ)。
「あの下郎、人の名前を何だと思っておいでかえ!」
都かぶれが君寵(※2)を嵩に、御家人たちを田舎者と侮って傍若無人の振舞い、それを許してしまう頼家公も頼家公です。
(※2)くんちょう。主君から寵愛(ちょうあい。依怙贔屓)を受けていること。