熊本県荒尾市に500年近く遺っている「妙見石室」という祠を調べてみた (2/5ページ)
北極星のこと)菩薩」とも言われる。
7世紀頃に日本に伝わってからは、主に無病息災や眼病平癒に功徳(くどく)があるとされているが、密教では護国・除災のために修する「妙見法」の本尊として星曼荼羅の中心に据えられる他、日蓮宗でも祀られている。
■日本全国に散見する妙見信仰
こうしたことから日本全国に散見する妙見信仰だが、大阪の能勢(のせ)妙見山(日蓮宗)、福島県の相馬妙見堂(相馬中村神社)、そして熊本の八代(やつしろ)妙見(八代神社)が「日本三大妙見」と言われている。
荒尾市までおよそ100km離れた八代の地に妙見が伝わったのは、『妙見宮実紀』(1730年)などの古伝によると、白鳳9(669年または680)年に大陸から妙見神が来朝し、球磨川(くまがわ)河口の竹原(たけはら)の津に上陸したのが始まりだという。しかしその「妙見」は、歴史家の蓑田田鶴男によると、日本に伝わった当時の「妙見」は現在我々が知る、仏教と神道とが混淆したものとは異なり、隋・唐代の中国において発達していた天文学と、「道(どう)」との習合による、北極星や北斗七星を祀った、神仙的かつ呪術的作法に則った形のものではなかったかと考えられている。
日本の奈良時代(710〜794年)当時、唐代の中国にインドから密教が伝わった。その際、『妙見神呪経』の漢訳が行われた。それが日本にも伝わり、妙見菩薩の利益(りやく)談も併せて受け入れられた。それゆえ主に畿内地域において、密教と、先に挙げた「原始的」妙見信仰が習合し、華々しい興隆を見たという。
■荒尾市の妙見石室の「妙見」とは
平安時代(794〜1192)になると、日本古来の神道と仏教とが混じり合い、寺の中に「鎮守社」が置かれたり、神社で仏事・法事を行ったりするようになる。更にそれは、日本の神は本来、仏または菩薩だが、衆生(しゅじょう)を救うため、仮に神の姿となってこの世に現れるという本地垂迹(ほんじすいじゃく)説と発展し、多くの人々に受け入れられた。