熊本県荒尾市に500年近く遺っている「妙見石室」という祠を調べてみた (4/5ページ)

心に残る家族葬

磨耗し、何が彫られていたかははっきりとわからなくなってしまっているが、願主の應山慶善記室禅師や檀那の人々の願いを込めて、袴嶽山頂に佛師浄秀、大工の道順・妙清によって、当時の時代を反映する童子形で造られ、祀られていた。場所が移動してしまったとはいえ、妙見様を祀る貴重な石室だから壊さないのは当然だと、地域の人々は守り続けてきたのだろう。しかし日本の歴史の中で、地震や台風、大雨・洪水などの自然災害、戦国時代の合戦、明治期の廃仏毀釈、炭鉱開坑、第2次世界大戦中の空襲、宅地開発や道路拡張、工場建設、何かの祟りや呪い話…など、石室が「いらないもの」として「壊される」チャンスはいくらでもあった。それを思うと、石室が壊されることなく、存在し続けてきたことはある意味、奇跡だと言える。

■最後に

後100年、200年、荒尾市の妙見石室に限らず、日本全国の、必ずしも大きなものではない、朽ち果てた宗教的遺物が人々の心の拠り所であり続けること。そして今度は荒尾市から逆に中近東に向かって、何百年、何千年もかけて、文明の栄枯盛衰、その中で生きる多くの人々の生き死にを超えつつ、「妙見」神の姿形やありようを変化させつつ「里帰り」することを祈らずにはいられない。

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