今昔物語集の素敵エピソード!尊すぎる…勘違いから夫婦が復縁、男が思い出した大切なこと
昔から「畳と女房は新しい方がよい」などと言いますが、真新しい藺草(いぐさ。畳表の原料)の香りはともかく、若いばかりが女房の、ひいては女性の魅力ではないと思います。(もちろんそれは男性にも同じことが言えます)
そこで今回は、日本最大級の説話集『今昔物語集』より、こんなエピソードを紹介します。
愛しい「あの人」に届け物昔むかし、どなたとは申しませんが、人品いやしからぬ君達(きんだち。良いとこのおぼっちゃま)がおりました(以下「男」とします)。
その方は典雅を愛する風流人で、永らく通い、連れ添った妻がおりましたが、近ごろは今めかしき女性(以下「新妻」とします)に目移りしてしまい、いつしか妻の元へは通わなくなってしまいました。
最後のお逢いしたのはいつだったかしら……と、寂しく夫を待ち続ける妻などお構いなしに、男は摂津国(現:大阪府北西部)へバカンス……もとい出張に行ってしまいました。
さて、男が難波の浜辺を歩いていると、何やら珍しいものを発見します。
それは小さな蛤(ハマグリ)の貝殻から海松(みる。海藻の一種)が房やかに生えているもので、さながら「海の盆栽」を思わせる風情を湛えています。
蛤と海松(イメージ)。この両者がくっついていたそうです。
「おぉ、これはいみじく風雅であるな」
【原文】「此レ極(いみじ)ク興有物也」
と拾い上げた男は、小舎人童(ことねり の わらわ。召使いの子供。以下「童」とします)に持たせて言いました。
「これを京都にいる『あの人』の元へ届け、『風雅のものゆえ、あなたにお見せしたかった』と言伝せよ」
【原文】「此レ、タシカ(※)ニ京ニ持行テ彼(かしこ)に奉レ。「此レガ興有ル物ナレバ見セ奉ラムトテナム」ト申セ」
(※)立心偏(りっしんべん)に遣の字。
「へい、かしこまりやした」
と二つ返事で蛤&海松を苞(つと)にくるんで京都まで運んだのですが、そこで素朴な疑問が湧きました。
「あれ?ところで『あの人』って誰だ?」
贈り物は、一体どこへ?さぁ、童は困ってしまいました。
ご主人があんまりナチュラルに申しつけるもんだから、ついそのまま来ちゃったじゃないか……と言い訳を考えても始まらないので、男が日ごろ「気にかけている相手」を推理してみました。
まぁ……男性はありえないだろう。いくら珍しいからって、いきなりこんな中途半端な海産物を贈られてもリアクションに困りそうだ。
となると当然「あの人」とは女性……有力な候補は二人。昔から連れ添った妻と、近ごろ夢中になっている今めかしき新妻か……うーむ、どっちだろう。
考えた結果、童は妻の方へ届けることにしました。
「お届けもんでごぜぇやす」
「今めかしき新妻であれば、どうせ通うのだから、自分で届けた方が喜ばれるし、土産話も盛り上がるだろう。となれば、わざわざ使いを立てた以上は、自分の足が向かない(であろう)妻の方へ届けさせたかったに違いない」
という訳で、蛤&海松の贈り物は、妻の方へ届けられたのでした。
「……珍しいこともあるものねぇ……」
男からの贈り物を受け取った妻は、盥に水を張った中へ蛤&海松をそっと入れて、飽かずに愛でておりました。
(まぁ、大方あの童が届け先を間違えたのでしょうけど)
妻は、本当は察していました。それでも、せっかくの贈り物がとても嬉しかったので、大切にとっておくことにしたのでした。
「こうしていると、京にいながら海辺のように素敵な潮の薫り。あぁ、早く彼が帰って来ないかしら……」
そんな事とも露知らず、男は十日ばかりのバカン……もとい出張を終えて京の都へ戻ると、真っ先に今めかしき新妻の元を訪ねたのでした。
蛤を「焼いて食いたい」!?「先日、童に届けさせた贈り物は如何かな?まだ取置いてくれてあるかな?」
【原文】「何(いつ)シカ彼ノ奉リシ物ハ侍(はべ)リヤ」
と、男がニッコニコで(打咲て。うちゑみて=笑みて)尋ねたところ、新妻はきょとんとして
「贈り物なんてなかったわ。何それ?」
【原文】遣(おこせ)タリシ物ハ有シ(あらじ=無い)。其レハ何物ゾ」
んんん!?
男は俄かに戸惑ってしまいました。まさか、贈り物が気に入らなかったので、意地悪を言っているのでは?
「いや、小さな蛤の貝殻にじゃな。それは房やかなる海松が生えておったのを難波の浜辺で見つけたのじゃ。その様がたいそう風雅であったゆえ、そなたに贈らせたのじゃが……」
【原文】「否ヤ、小キ蛤ノ可咲気(おかしげ)ナルニ海松ノ房ヤカニ生出(おいいで)タリシヲ、難波ノ浜辺ニテ見付テ、見シニ興有ル物也シカバ、急ギ奉リシハ」
男がしどろもどろに説明すると、新妻は生唾を呑んで言いました。
「んまぁ~蛤ですって!?私、焼いて食べるの大好きですのよ。海松なら……そうねぇ。酢の物とか……」
【原文】「……(前略)……蛤ハ焼(やき)テ食(くひ)テマシ。海松ハ酢ニ入レテ食(くは)マシ」
んんん!?
男は又もびっくり……と言うか、何だかドッ白けてしまいました。
(うーむ……こやつは「そういう女」であったのか……)
……まぁ、気を取り直して、とりあえず童には八つ当たり……もとい「お仕置き」が必要そうです。
風雅を解する妻と、夫の改心「……これこれしかじか」
さて、童から事情を聴いた男は「とりあえず、さっさと取り返して来ーいっ!(原文:速ニ其レ取リ返シテ、只今来)」と、童を妻の元へ遣わしました。
「……かくかく云々」
童から事情を聴いた妻は、内心「やっぱりね」と落胆しましたが、大切にとってあった贈り物を返すことにしました。
盥から引き揚げた蛤&海松を上等な陸奥紙(みちのくがみ)に包んで、童に持たせました。
「たとえ勘違いでも、素敵な物が見られて楽しかったわ。ありがとう。主人によろしくね」
「……へぃ、今回はすいやせんでした」
包みを抱えながら、童は男の元へ戻ったのでした。
「……遅かったじゃないか」
さて、童から包みを受け取った男がさっそく中身を検(あらた)めると、そこには男が拾った時そのままの蛤&海松がありました。
「……ん?」
男は脇へ置いた包みの陸奥紙に、何か書きつけてあるのを見つけました。それは、一首の短歌でした。
【原文】「アマノツト ヲモハヌカタニ アリケレバ ミルカイモナク カヘシツルカナ」
(海の苞 想わぬ方に 在りければ 見る甲斐(海松・貝=蛤)もなく 返しつる哉)
【意訳】この素敵な海からの贈り物は、残念ながらわたくし宛てではないようですから、愛でる間もなくお返しいたします。
……その筆跡(て)は、永年連れ添ってきた妻のもの……何だか、男は忍びなくなってしまいました。
「……独り帰りを待つ妻の気持ちを、私はつい忘れていた……」
彼女はいつも、私の好きな花鳥風月を共に愛でてくれた。どんなにご無沙汰したって、嫌味も皮肉も言わず、いつでも心から歓迎してくれた。
今回の贈り物だって、恐らく間違いだと察していながら、とても喜んでくれたことは、未だに瑞々しさを保っているこの蛤&海松を見れば解る。
……そうだ。私が真に伴侶とすべきは、長い人生において共に風雅を楽しめる女性であって、間違っても「焼き蛤が喰いたい」などと吐かす女ではない。
……私は今めかしき華やかさに目がくらみ、大切なことを忘れていた……今すぐ妻に謝らなければならない。
男はその日の内に牛車を出させて妻の元へ「帰り」、その後浮気することなく、一生仲睦まじく暮らしたそうな……めでたし、めでたし。
「どうか、末永くお幸せに」
※出典:『今昔物語集』「品不賤人、去妻後返棲語(しないやしからぬひと、めをさりてのちにかえりすむこと)第十一」より。
まとめかつて、家内に持論を話したことがあります。
「夫婦ってのは、御朱印帳みたいなもんだ。どんなに新しくてピカピカでも、永年積み重ねた信仰とご縁≒御朱印の数には敵わない」
若くて美しい女性(or若くてハンサムな男性)は確かに見栄えがして魅力的ではありますが、経験や感動の中で歳月を積み重ねることに価値が見出せなければ、若さ≒過去にしがみつくだけのつまらない人生となってしまいます。
「色々あったけど、いい人生だったよね」「……そういう事にしておくわ」
よく「美しく歳をとりたい」などと言いますが、そんな生き方こそが人生の醍醐味であり、次世代へ託す希望ともなるのです。
そんなことを思い出させてくれるこのエピソードが、筆者はしみじみと好きです。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan