女帝・称徳天皇が和気清麻呂に下した「穢麻呂(きたなまろ)」という汚そうな名前への強制改名の刑罰 (2/3ページ)

Japaaan

Wikipedia/孝謙天皇

和気清麻呂は、その称徳天皇の側近だった尼僧・法均尼こと和気広虫の弟でした。事の発端は、称徳天皇が「朕が師」と信頼し、寵愛していた僧侶・道鏡に「法王」という位を新設して与えたことでした。

その道鏡に気に入られて出世をと目論んだのか、はたまた天皇と同等の権力を得た道鏡が天皇の位をも狙って嘘をつかせたのかは分かりませんが…大宰府の主神(かんづかさ)を務めていた習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)が「宇佐八幡神の神託」として、こんなことを天皇に奏上しました。

「道鏡を天皇にすれば、天下太平となる」

道鏡を次の天皇にしたいと望んでいた称徳天皇は、神託が本物かどうかを側近の尼僧・法均尼に確かめに行かせようとしましたが、病弱な法均に長旅は無理だったため、その弟の和気清麻呂が宇佐八幡宮へ行くこととなりました。

清麻呂は出発前、道鏡から
「『吉報』をもたらせば、官位を上げてやる」
と持ちかけられましたが、宇佐の大神からのお告げは
「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てろ。無道の人(道鏡)は早く追放せよ」
というもの。

都へ戻った清麻呂は、このご神託をそのまま天皇に報告したことで、天皇と道鏡の怒りを買うこととなったのでした。

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