女帝・称徳天皇が和気清麻呂に下した「穢麻呂(きたなまろ)」という汚そうな名前への強制改名の刑罰 (3/3ページ)

Japaaan

清麻呂は名前を「別部穢麻呂」に改名させられた上、職を解任・流刑。さらに姉の法均尼こと和気広虫も「別部狭虫(わけべのさむし)」に改名させられ流刑となってしまいました。

なぜ称徳天皇はこんな刑罰を与えたの!?

称徳天皇が清麻呂姉弟に下した「強制改名の刑」は、単なる嫌がらせではなく、天皇のある「こだわり」によるものでした。

称徳天皇は清麻呂以外にも、自分に反抗したものを卑しい名前に改めさせたことがありました。名前や言葉には「霊」が宿っているため、大切にしなければならないという「言霊信仰」的な考え方があったからでした。

称徳天皇によって「強制改名」の刑を受けた人物には、他にも橘奈良麻呂の乱で廃太子とされた道祖王(ふなどおう・麻度比(まどひ)に改名)や、称徳天皇を呪詛した疑いをかけられた不破内親王(ふわないしんのう・厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ/台所の下女という意味)に改名)などがいます。

これから毎日卑しい名前で呼ばれることになるなんて、生きていく上でもっとも精神的にきつい刑罰ではないでしょうか。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「女帝・称徳天皇が和気清麻呂に下した「穢麻呂(きたなまろ)」という汚そうな名前への強制改名の刑罰」のページです。デイリーニュースオンラインは、称徳天皇和気清麻呂刑罰奈良時代平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧