情報屋?それとも仕官先探し?「武者修行」の本当の目的はなんだったのか (1/2ページ)

Japaaan

情報屋?それとも仕官先探し?「武者修行」の本当の目的はなんだったのか

「武者修行」というと、強い武士が自分の力を伸ばすためにさらに強い対戦相手を求めてひたすら旅をしている風景、あるいは同情やぶりをしている様子が思い浮かぶと思います。

はじめて武者修行を行った「山内源兵衛」

日本においてはじめて武者修行を行ったとされている人物は、中国地方出身の武士で、「山内源兵衛」という名前の人物だったとされています。彼は、1542年(室町時代の末期)、自分の腕を磨くために修行旅に出たと伝えられています。彼が武者修行を始めた頃から、全国的に武者修行が増えていきました。

初期の武者修行には、スケールの大きいものもありました。例えば、後世、剣聖として崇められた塚原卜伝。彼は、自分は馬に乗り、門弟に鷹狩りの鷹を持たせ、60人あまりを引き連れて諸国を武者修行したと伝えられています。

が、その実は浪人の身。彼が武者修行に出たのは、仕官先を探すためだったと伝えられています。

月岡芳年「新撰東錦絵 武蔵塚原試合図」

史上有数の剣豪・上泉伊勢守秀綱の武者修行

また、史上有数の剣豪とされる上泉伊勢守秀綱という人物は、1562(永禄五)年、自分の創始した新陰流を諸国に広めるために武者修行に出たときなどは、一族郎党を引き連れ大名行列を組んだとされています。ところが、秀綱が旅に出た本当の理由は、武田信玄に攻められ、身を寄せるところがなくなってしまったためだったとか。

武者修行の目的は徐々に「仕官先探し」に

当初は、純粋に腕を磨くことが目的だった武者修行も、応仁の乱を経て戦国時代に突入すると、その目的が仕官先探しに変わっていったのです。

もしも旅先で戦が起これば、それはチャンス。「陣取り」として軍に加わり、手柄を立てれば褒美ももらえ、うまくいけば召し抱えてもらえたりするからです。

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