大相撲インタビュー関脇・玉鷲「優勝への軌跡」と苦労の日々 (2/3ページ)
「(優勝が)決まった瞬間は、本当は体全体で表現したかったんだけど、結びの一番まで2番あったから、天井までいっちゃうくらいのうれしい気持ちを抑えていたんです。抑えていた分、“最高です!”という言葉が出ちゃったのかもしれないですね(笑)」玉鷲は、こう振り返る。
そして、インタビューではサプライズが披露された。玉鷲いわく「もう一つの燃える理由」は、奇しくもこの日の朝、次男が誕生したことだった。「生まれたのは、午前4時くらい。千秋楽のこの日が予定日といわれていたから、気が気じゃなくて……。だから深夜2時頃、病院に行ったんだけど、奥さんから“私は大丈夫だから、相撲に集中して”と言われて、いったんは自宅に帰ったんです。でも、それからしばらくして“男の子が生まれた”という知らせが入ったから、6時にもう一度、病院に行った。それで、ほんのちょっとだけ奥さんと次男と会って、朝稽古のため部屋に戻ったんです」次男の誕生は、玉鷲の初優勝の夢をより強くした。初優勝と子どもの誕生が重なったという力士は、もちろん史上初である。
玉鷲一朗。1984年11月にモンゴル・ウランバートルで生まれたムンフオリギル少年の将来の夢は、ホテルマン。高校を卒業した後は、実際、ホテルの専門学校に通っていた。その頃、東大大学院に留学中だった姉を頼って日本に遊びに来た玉鷲は、相撲の街・両国へ。
そこで偶然出会ったのが、自転車に乗っていた鶴竜(当時・幕下)だった。「それまで相撲の経験はなかったし、相撲をやろうという気持ちはなかったんです。でも、実際に力士に会ったり、話を聞いたりしているうちに、“この体を生かせるかもしれない”と思ったんです。それで旭鷲山関の紹介で、片男波(かたおなみ)部屋に入門が決まりました」
04年初場所で初土俵を踏んだ玉鷲は19歳。白鵬や鶴竜が15歳で入門していることを考えれば、かなり遅い入門といえる。実際、出世もトントン拍子とはいかず、3年が経過した。
そして、07年秋場所、幕下優勝を果たし、翌九州場所では初めての幕下上位(2枚目)に進出。