あの素晴らしい「昭和大ヒット曲」をもう一度(2)おりも政夫「ブルドッグ」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

あの素晴らしい「昭和大ヒット曲」をもう一度(2)おりも政夫「ブルドッグ」

 70年代を代表する人気グループ「フォーリーブス」のメンバーであり、解散後、人気番組の司会者としても活躍していたおりも政夫(65)。現在も夢グループが開催するコンサート「夢のスター歌謡祭」にて司会を務めている。

「フォーリーブス時代の曲を1曲選べと言われたら、やっぱり『ブルドッグ』(77年)ですかね。僕たち40枚近くもシングルを出してるけど、1年に4~5枚リリースして、歌詞と振りを覚えたと思ったら、はい、次!だもの(笑)」

 歌謡曲を中心に芸能界が、いや、テレビそのものも回っていた時代である。

「当時はね、CBS・ソニーというレーベルだったんですけど、ソニーの社長さんがこう言ったの。『歌い手とは大ヒット曲を出すこと、これが一番だ。でも、フォーリーブスに関してはそれを望んでいない。その代わり、常に3割バッターでいてくれ』と。これはおもしろい表現だったね。しかもその言葉どおりになって、毎回出せば枚数は出る。けど、ベストテンに入るか入らないかくらいの中ヒットなんですよ。例えば、『踊り子』(76年)は、結成10周年記念曲で日本歌謡大賞特別賞を受賞したけど、中ヒット。『地球はひとつ』(71年)は大阪万博の翌年にリリースして、日本中の人に歌われました。けど、これも中ヒット。『ブルドッグ』は“にっちもさっちもどうにもブルドッグ”というフレーズがすごく人気になって、ジャニーズの後輩たちにも今でもステージで歌い継がれているけど、1位になったことはないんじゃないかな。それでも、すごくいい曲が多かったんですよ」

 あのチューブを使っての奇抜なパフォーマンスが当たって、一世を風靡した。

「そうそう、チューブを使ってのアレがね。チューブ、チューブ‥‥、チューブじゃないよ、ゴムだよ(笑)。僕らはスパンコールのキラキラしたゴムを使っての振り付けをメンバー4人、それぞれが4色のゴムを使って斬新だったよね。今では2色減ってしまったけど」

 02年、フォーリーブスは再結成をしている。が、北公次(享年63)、青山孝史(享年57)が亡くなったことで、4人での活動は幻となった。

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