生死を超えた剣豪たちの境地と剣術が剣道に昇華した理由 (2/4ページ)
人の命を奪うことに変わりはないはずの単なる武器を超えたどのような精神性が宿るのか。
■殺人刀から活人剣へと昇華しようとした柳生新陰流の剣豪・柳生宗矩
徳川家武道指南役を務めた、柳生新陰流の剣豪・柳生宗矩(1571~1646)は、人を殺す「殺人刀
(せつにんとう)を、人を活かす剣「活人剣」(かつにんけん)として昇華した。今でこそ剣道、武道は心身の鍛錬として推奨されるが、宗矩が生きた安土桃山~江戸初期という戦国時代の名残が残る時代にあって、「人を活かす剣」とはかなり突飛な発想であったに違いない。
「兵は不祥の器なり。天道之を悪む。止むことを獲ずして之を用ゐる、是れ天道也」
「一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。
しかるに、一人の悪をころして万人をいかす
是等誠に~略~人をきるにはあらず、悪をころす也。
一人の悪をころして、万人をいかすはかりごと也」(柳生宗矩「兵法家伝書」)
■柳生新陰流に伝わる奥義「無刀取り」とは
宗矩は著書「兵法家伝書」において剣を「不詳の器」として、その存在価値を否定する。その上で仕方なく、無法な者に対しては剣を奮わざるをえない時もある。それは人を斬るのではなく「悪」を滅ぼすのだとする。
ここではまだ例外としての殺人を肯定している。しかし柳生には「無刀取り」という奥義がある。素手にて剣を奪い制する技だ。剣の奥義が斬ることではなく、そもそも剣を持たずにして人の命を奪わず、制することだとするのは、武術の意味からして驚くべきことである。この「無刀取り」を宗矩はさらに展開し次のように述べる。
「無刀は取る用にてもなし。人をきらんにてもなし。敵から是非きらんとせば、取るべき也。取る事をはじめより本意とはせざる也。よくつもりを心得んが為也。敵と我が身の間何程あれば太刀があたらぬと云事を、つもりしる也」
「無刀取り」とは素手で刀を取ることではない。それはやむをえず、刀と対峙した時のことで、そもそも戦わなければよい、逃げてしまえば良いのだとする。もはや、立ち合うこと、殺し合うことそのものを否定するのである。