生死を超えた剣豪たちの境地と剣術が剣道に昇華した理由 (3/4ページ)

心に残る家族葬



■宮本武蔵が辿り着いた人殺しを超えた境地

宮本武蔵(1584~1645)も晩年は高度な精神性に到達した。武蔵は13歳である兵法家を撲殺して以来、「五十余り 負けなし」という剣士というより兵法家であった。吉岡一門との対決では神出鬼没、ゲリラ戦の様相を呈し、佐々木小次郎との「巌流島の戦い」ではわざと遅れて小次郎の気を乱すなどの心理戦を仕掛けた。また、武蔵は無防備になることを嫌い、風呂に入らなかったという徹底した合理主義者、現実主義者であった。その武蔵も晩年は書や彫刻などに励み、著書である「五輪書」では、武の神髄は真の「空」に到達することにあるとする、単なる人殺しを超えた境地を説くに至った。

宗矩は、武蔵は、人を斬る、人の命を奪うという行為の果てに何をみたのか。

現代剣道や、現代格闘技とは根本的に異なる、「倒す」のではない、(腕や足を)「折る」のでもない、「斬る」。人を斬るということ。その先にはあるものとは。

作家・菊地秀行も述べている。

「打つのではなく斬り合うとはどういうことなのか~略~名剣士たちが辻斬りを行ったとするならば、そうまでしなければ成就しなかった剣の道と、その結果生まれた高度な精神性とはいったい何なのか」(菊地秀行「ザ・古武道12人の武神たち」)

人を斬るということは自分も斬られるかも知れぬということだ。死にたくなければ敵を斬るしかない。つまり生に執着しているわけである。仏教では執着を煩悩の現れとして強く戒めている。斬るか斬られるか、生きるか死ぬかの相剋の果てに剣豪たちはやがて生死を超えたものを悟る。

宗矩が教えを受けた、禅僧・沢庵宗彭(1573~1646)は禅による武道の奥義を解釈した「不動智神妙録」にて、「剣禅一如」(剣禅一味・剣禅一致)を説いた。剣の道と禅の道は、生と死のぎりぎりの場を見つめるという意味で一致する。吉川栄治も「宮本武蔵」で武藏と沢庵の邂逅を描いている。これは史実ではないが、吉川は武蔵晩年の境地を「剣禅一如」として表したかったのである。

■妖刀「村正」と名刀「正宗」

妖刀と称された「村正」と名刀と言われる「正宗」の切れ味を試そうと川に立てたという逸話がある。
「生死を超えた剣豪たちの境地と剣術が剣道に昇華した理由」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る