生死を超えた剣豪たちの境地と剣術が剣道に昇華した理由 (4/4ページ)
川に流れる木の葉は村正に触れるやいなや、真二つに斬れた。恐るべき切れ味である。一方、正宗には木の葉が当たらない。木の葉が避けて通るのだ。そこには絶対的な平和が実現している。宗矩や武蔵も最終的には戦いの放棄に至った。
戦いをしない、殺し合いをしないということは、実は自分の命を護るだけではない。相手にも殺人という罪を犯させないことでもある。
本来、人殺しにすぎない剣豪たちは生と死、敵と味方の区別すらない高い精神性に至った。それは真剣を介し、生と死の狭間に立つことで、死に向かい合い、生きることに執着するぎりぎりの現場を見極めた先に実現した境地であった。
「斬る」ことを経た境地は、殴られる痛みすら知ることの少ない現代日本に生きる我々が無下に否定することではない。外的には戦争、紛争、犯罪、内的には脳死問題、延命治療など、「命」を考えることを避けられない現代において、彼らの境地、その死生観を学ぶことは無駄ではないだろう。
■参考文献
■柳生宗矩著・渡辺一郎校注「兵法家伝書」(2004)岩波書店
佐江衆一「剣と禅のこころ」(2006)新潮社
前田英樹「剣の法」(2014)筑摩書房
菊地秀行「ザ・古武道12人の武神たち」(1996)光文社