大谷吉継は友のために、鳥居元忠は主君のために…それぞれの想いのために関ヶ原の戦いで散った2人の武将たち (1/3ページ)
慶長5年(1600)の9月15日に関ケ原の戦いが勃発しました。日本が東軍と西軍に分かれて戦いを行った大規模な戦でした。
また、この戦いの勝者が天下の覇権を握れるということもあり、「天下分け目の戦い」とも称されています。
関ヶ原合戦図屏風/Wikipediaより
そんな関ケ原の戦いで各大将、石田三成と徳川家康の勝利のために命を賭して戦った2人がいました。2人の名前は三成の友である大谷吉継と家康の忠臣、鳥居元忠です。
今回は吉継と三成、元忠と家康の関係と感動するエピソードを紹介したいと思います。
大谷吉継と石田三成の友情物語!「友のためにこの命捧げよう!」吉継は三成と同じ近江国出身で歳も同じだったことから少年時代から仲が良く賤ヶ岳の戦いでは共に奮戦しました。
そのことから豊臣秀吉に共に戦ったもう1人と「秀吉の三振りの刀」と称賛されています。
落合芳幾画『太平記英雄傳 大谷刑部少輔吉隆』/Wikipediaより
また、「計数の才」(計算に強い)があったので秀吉は2人をその部門に長けた奉行に附けたということもあってか、行動を共にするうちに自然と友情が生まれていきました。
戦国の世は昨日の友は今日の敵と言われるように友を持つということは滅多にありませんでした。友を持ったとしても利害の一致から一時的になるくらいだったので2人の関係は非常に稀でした。