乾電池の発明は遅刻がきっかけ!?世界で初めて乾電池を発明した日本人・屋井先蔵 (2/3ページ)
ところが、そのころの日本では電気製品が普及していなかったため、屋井の乾電池は発売当初、思うように売れません。
そんな屋井の乾電池に転機が訪れたのは、1892年に開催されたシカゴ万博でのこと。このとき、東京帝大理学部が、屋井の発明した乾電池を使用した地震計を出品。この乾電池が国際的に関心を集め、その性能の良さが認められるようになりました。
その後、日清・日露戦争が発生すると、厳冬の満州で照明や通信機器を使用するための電源として屋井の乾電池が採用されることになり、屋井の乾電池はようやく世間の人々の注目を集めるようになったのです。
1910年 、屋井は、「屋井乾電池」を設立。乾電池の本格量産にとりかかりました。その際、筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立しました。
先蔵の発明した世界初の乾電池・屋井式乾電池
屋井は、乾電池というものを世界で最初に発明にしたにもかかわらず、貧乏のため特許を取得することがなかなかできず、長い間、乾電池の発明者として名前を知られることはありませんでした。
2014年、IEEE関西支部の推薦による「日本の一次・二次電池産業の誕生と成長1893」がIEEEマイルストーンとして正式に認定され、屋井の出身地の長岡市、出身校の東京理科大学近代科学資料館(以上は屋井乾電池が現存しないため)、ジーエス・ユアサコーポレーション、パナソニックの4者に銘板が贈呈されました。
これによって地元長岡市の人々にも、屋井先蔵の名前が広く知られるようになりました。
日本が、世界に誇るものづくりの技術。その一つの成果である「乾電池」発明のきっかけが、「遅刻」とは、なんとも人間臭いエピソードではないでしょうか。