徳川吉宗の視点でかんたん解説!8代将軍継承問題と大奥のドロドロ派閥抗争 その2 (1/2ページ)
前回に引き続き、のちの暴れん坊将軍こと徳川吉宗を視点の中心に据え、8代将軍継承問題と6代将軍・家宣の正室・天英院VS側室・月光院という大奥史上最大級に泥沼化した派閥抗争についてご紹介します。
前回の記事はこちら。
徳川吉宗の視点でかんたん解説!8代将軍継承問題と大奥のドロドロ派閥抗争 その1 8代将軍継承問題勃発7代将軍・家継の死によって、家継の生母・月光院派が優位だった天英院VS月光院の構図は一旦白紙に戻ったかに見えました。
周延「千代田之大奥 歌合」Wikipediaより
しかしそうではありませんでした。むしろどちらも世継ぎのいない白紙状態に戻り、もう一度同じ土俵に立った事で事態は急展開します。天英院VS月光院の戦いは、「8代将軍の継承」に戦場を移したのです。
先述の通り、8代将軍候補は天英院派の尾張徳川家の継友と、尾張より格が落ちる紀伊徳川家の吉宗。継友には天英院が、吉宗には月光院がバックに付いて派閥争いとなりました。家格だけで比較すると、この時点では天英院が優位に立った事になります。
吉宗、半端ないって!しかし吉宗はただの吉宗ではありませんでした。彼は半端ない敏腕の持ち主だったのです。
