人間しか行わないとされている弔いや葬送は反自然行為?人間は反自然的存在? (2/4ページ)
■葬送とは反自然的行為
人間は遺体を自然に渡すことを拒み、棺桶に納める。先進国であるほど、つまり自然から遠ざかるほどに、土葬や鳥葬などの「自然的」手段から、火葬という「人工的」な手段になっていく。
人間を自然に還す散骨などの「自然葬」について、日本史学者・森謙二は、自然葬は埋葬といえるのかと疑問を呈している。散骨とはいうがそう簡単に自然に還るわけではないようだ。森は、焼骨が土には戻らず、粉砕したはずの焼骨はむしろ一つの塊となっていたと述べている。
散骨はいかにも自然に還る、還すという面持ちがある。しかしそれは骨を撒く遺族の自己満足に過ぎず、実際には自然に還らないモノをただ放棄しただけの可能性も高い。
葬送、埋葬、弔いとは、それ自体が反自然的行為であることから逃れられないのである。
■相模原で起こった知的障害者を狙った犯人
2016年7月26日 神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設に、元施設職員の男が侵入、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者職員計26人に重軽傷を負わせた。犯人の男は障害者は生きているだけで社会の不利益であり処分するべきだと主張している。
かつてナチスドイツが同じことをした。優れた者が劣った者を安楽死させるべく実行された、「優性思想」に基づく政策は「T-4作戦」と名付けられた。彼らは障害者を社会に貢献しない「生きるに値しない命」と明言している。
彼らは「弱肉強食」「食物連鎖」の世界を提示している。彼らの行為は自然界のルールに照らせば正しい。障害者などただ栄養を摂取して生きているだけに過ぎず、それだけならまだしも健常者の手を煩わせ、足手まといにしかならない。社会に何の賦与もしないばかりか迷惑な存在なのだ。このような不適合者は当然死ぬべきだし、自然に還すべきである。それが摂理というものだろう。
自然に還れというなら、この事件の犯人ほど自然に忠実な人間はいない。中学の生態系の授業で「食物連鎖」を学んだことがあるだろう。自然は極めて合理的にプログラミングされている。犯人の男は、人間の反自然的な、いわば「弱人強助」を偽善、欺瞞だと指摘したのだ。