馬車 VS 人力車!明治時代、馬車に客を取られた人力車夫は人糞を投げ入れるなどの嫌がらせ (2/2ページ)

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東京では明治2年(1869)に乗合馬車会社が設立され、東京と横浜間で直通運行を開始しました。6人乗りの車を2頭の馬で引き、東京~横浜間は約4時間でした。

鉄道馬車の登場

『鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図』歌川広重

明治5年(1872)には東京内でも運行が開始。より乗客数を増やすために3頭の馬で2階建ての車を引く馬車も登場しました。しかしこれはカーブで曲がれず、転倒する事故が起きたことで廃止されました。

そもそも、当時の東京の道は横浜のように舗装されていなかったため、不安定で車が走るには向いていませんでした。そこで登場したのが鉄道馬車。鉄道馬車とはその名の通り、鉄道の上を走る馬車です。鉄道の上を走るため、スムーズに走行することができ、定員も20~30人ほどに増えました。馬車がの運賃が75銭(1,500円)だったのに対し、鉄道馬車は3銭(600円)だったため、庶民に爆発的な人気でした。

車夫の嫌がらせ。人力車vs馬車

楊洲周延『上野ステイーシヨヲ繁栄ノ図』

ここで黙っていないのが人力車夫でした。運賃が高く、多くても2人しか乗せることができない人力車に対し、馬車は運賃が安く、多くの人を乗せることができます。

馬車や鉄道馬車の登場により、人力車の利用者は激減。失業してしまう車夫が多くいました。鉄道馬車に客を奪われた一部の人力車夫は、馬車の中に人糞を投げ入れたり、鉄道に石を詰めて脱輪させるなどの妨害を行っています。

人力車が脅威に感じていた鉄道馬車ですが、運行の増加による接触事故や道路の破損、さらには馬の糞尿などの問題を抱えていました。長年東京市民の足として活躍した鉄道馬車でしたが、そうした問題を抱えていたため、路面電車の登場により、東京から姿を消しました。

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