原辰徳監督・激動の半生とミスター長嶋茂雄との絆 (2/2ページ)
巨人の“4番サード”として、プロでも、その実力を証明しました」(スポーツ紙デスク)
“若大将”の愛称で、巨人の看板選手となった原。だが、彼のプロ野球人生は順風満帆には進まなかった。
86年9月の対広島戦。剛腕・津田恒実投手の直球をファウルした際、左手首を骨折。このケガが原の選手生命を一変させてしまう。「原は典型的な引っ張り型のバッター。しかし骨折の影響で、バットが全力で振り切れなくなり、思い通りの打撃ができなくなってしまったそうです。後年、本人も“あれがなければ……”と無念さを口にしていました」(ベテラン記者)
そんな原を追い立てるかのように、今度は“巨人の4番という伝統”がのしかかっていく。「3割打っても、30本塁打をマークしても、“チャンスで打てない”などと叩かれ続けた。巨人のスーパースターだけに、周囲は原に、どうしてもONのような活躍を期待してしまう。その重圧は、かなりのものだったはずです」(前同)
93年、長嶋氏が巨人の監督に復帰。13年越しで指揮官と選手の関係になった2人だったが、すでに原のピークは過ぎていた。
「ミスター就任前の時点で、守備位置は三塁から外野、一塁と変えられ、4番を外される試合も多くなった。就任後の94年には、FAで落合博満が移籍。かつてはミスターの恋人だった原ですが、もうチームに居場所はなくなっていました」(元巨人担当記者)
引退後は、監督としての道を歩み始めた原監督の激動の半生。この続きは4月22日発売の『週刊大衆』をチェックしよう。