枯れた野原をただただ鑑賞?江戸っ子が好んだ究極のオトナの遊び「枯野見」とは? (1/2ページ)

Japaaan

枯れた野原をただただ鑑賞?江戸っ子が好んだ究極のオトナの遊び「枯野見」とは?

皆さん、遊ぶのは好きですか?

筆者も好きでよく遊ぶのですが、他人様を誘うと、なぜか少なからぬ方から「カネがない」という答えが返ってきます。

いやいや、お前さんに声をかけたのは遊びの誘いであって、別に酒代の無心じゃないんだよ。

で?遊ぶのか遊ばねぇのかどっちなんだ。こちとら遊ぶのに忙しいんだから早くしておくれ……すると奴さん、ここへ来てようやく「遊びたいけど、カネがない」なんて弱音が出てきます。

歌川豊国「たばこや源七実ハ坂田の蔵人 沢村宗十郎」文化九1812年

けっ、何言ってやんでえ。カネがねぇから遊べねぇなんぞと芸のねぇ……そもそもカネがなきゃ出来ないようなのは遊びの風上にもおけねぇ、ガキの道楽ってモンです。

大人が「遊ぶ」と言えば、必要なのは知恵とセンスとインスピレーション、それらをひっくるめたユーモア、つまり「遊び心」に尽きます。

……というわけで、今回は遊びにかけては天下逸品の江戸っ子たちが好んだ遊びの中から、特に遊び心が求められた「枯野見(かれのみ)」を紹介したいと思います。

どんな景色も一期一会

さて、枯野見と言いますのは、読んで字のごとく秋から冬の枯れた野原を鑑賞するという酔狂のこと。

というと「雪見や月見、花見ならともかく、一面枯草だらけの野っぱらなんて眺めて何が楽しいんだ」という野暮が聞こえてきそうなものですが、そんなら逆に伺います。

雪はただ白いですか?月はただ黄金色ですか?花はただ一色ですか?

……確かに、鮮やかな色、華やかな色は分かりやすく人の目を惹きます。しかし、雪も月も花も決して単色ではないように、枯野のも枯野なりの味わい深さがあるのです。

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