祝『令和元年』日本人の9割が知らない「元号トリビア」19連発! (5/6ページ)

日刊大衆

■トリビア14
改元が原因で信長に追放された足利義昭

 室町幕府最後の将軍・足利義昭は、将軍職に就いて半年ほど後に「元亀」への改元を朝廷に申し出る。室町時代には幕府の権威のもと将軍(義満など)が実質的な改元を担う場合があった。その例にならって申し出た義昭だったがこの申し出をよしとしなかったのが義昭を将軍職に担いだ織田信長。しかし義昭は信長が越前の朝倉氏を討ちに出陣した隙に改元を実行。改元を認めない信長だったが義昭は言うことを聞かず、信長の逆鱗に触れた義昭は将軍職を解かれ、京から追放されてしまったのだ。

■トリビア15
「明治」はくじ引きで決まった

 慶応4年(1868)に新天皇が即位すると、新たな時代の幕開けと共に新たな元号「明治」に改元された。この時いくつかあった候補の中から、宮中賢所において天皇自らがくじを引いて選んだのが「明治」。実はこの「明治」はこれまでにも何度も候補に挙がっていたが付けられてこなかった。神聖なる天皇のくじ引きにより、ようやく日の目を見た元号なのだ。

■トリビア16
「昭和」は実は「光文」だった!?

「大正」から「昭和」への改元の際に起こった有名な事件が“光文事件”だ。当時の東京日日新聞(現・毎日新聞)が正式発表の前に「新元号は光文」と号外を出して大スクープ。ところがいざ蓋を開けてみると新元号は「昭和」。どうやら最終案の前に候補に挙がった「光文」を、決定した元号だと勘違して世紀の大誤報を飛ばしてしまったらしい。

■トリビア17
実は「昭和」は途中で改元されるかもしれなかった

「昭和」は“昭和20年”の終戦を境にその前後で大きく体制が変わった。終戦直後は元号に関しても様々な意見が飛び交う。その中には「昭和を廃止して新元号を」という意見もあった。昭和から新元号への改元論の代表者が“憲政の神様”と呼ばれた尾崎行雄。しかし当時ちょうど朝鮮戦争が勃発したため、改元論はうやむやになりそのまま「昭和」が続くことに。

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