“令和”特別企画「天皇125代」その謎と真実(1)「137歳で崩御」の超長寿は… (2/2ページ)

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飛鳥時代から奈良時代にかけては、推古(すいこ)天皇をはじめ、持統(じとう)天皇、元明(げんめい)天皇、聖武(しょうむ)天皇など、数々の有名な天皇が歴史の表舞台で活躍し、平安時代中期には摂関政治の時代となり、院政期には退位した天皇である上皇(じょうこう)が政治の主体となる。ところが、鎌倉幕府が開かれ武家政権の時代になると、朝廷と武家との間で争いが頻発。さらに戦国時代には朝廷は衰微。徳川家康の頃には「禁中並公家諸法度」が制定され、天皇は京都御所に閉じ込められた存在となってしまうのである。

 そんな状況が一変するのが幕末だった。1846年(弘化(こうか)3)に即位した第121代・孝明(こうめい)天皇は朝廷が発言力を増す中、歴史の表舞台に引っ張り出され、崩御したのち、1867年(慶応3)に第122代として明治天皇が16歳で即位。と同時に、江戸時代からの大政奉還が上奏され、明治天皇はこれを勅許。王政復古の大号令が発せられたことで、264年続いた江戸幕府の歴史は幕を閉じることになった。

「そして、版籍奉還、廃藩置県、天皇親政により中央集権国家が樹立されることになり、明治天皇は名実ともに国家元首となるわけですが、実は歴代天皇は形式的、主観的にも君主の地位にあった。それは現代も同じで、天皇は国際法上、日本を対外的に代表する元首であることは客観的事実。つまり『象徴か、元首か』ではなく、元首だから象徴たりうるものだ、ということ。古来から天皇が連綿と存在してきたことによって、日本の社会は安定した秩序を保つことができた。秩序が安定してこそ、平和が保たれ、社会は発展していきます。そう考えると天皇の存在は、日本の存続と発展のため大きな役割を担ってきたということです」

高森明勅(たかもりあきのり)氏プロフィール:昭和32年、岡山県生まれ。國學院大學文学部卒。神道学・日本古代史専攻。日本文化総合研究所代表。著書に『この国の生い立ち』(PHP研究所)、『天皇から読みとく日本』(扶桑社)、『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)、『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書)ほか多数。

「“令和”特別企画「天皇125代」その謎と真実(1)「137歳で崩御」の超長寿は…」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2019年 5/2・9合併号令和天皇陛下神武天皇皇室社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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