“令和”特別企画「天皇125代」その謎と真実(1)「137歳で崩御」の超長寿は… (1/2ページ)

日本最古の和歌集「万葉集」を出典とする「令和」は「大化」以来、実に248回目の元号だ。元号は古代中国で皇帝支配の象徴として用いられ、日本では明治になり「一世一元」になったが、かつては目まぐるしく変わる時代もあった。そこで、元号とともに歩んだ125代歴代天皇の歴史を検証してみると──。
言うまでもないが、日本の歴史において、天皇の存在は大きな意味を持っている。そんな天皇の歴史が始まったのは2600年(諸説あり)ほど前の神武(じんむ)天皇の時代だ。神武天皇は九州の日向に生まれ、15歳で皇太子となったのち、45歳の時に東方の「美き国」である大和に都を構えるため、大軍を率いて日向を発った。これが、大和を征服して即位までを記した説話、神武東征である。
だが、天皇や皇室に関する著書を多く持つ神道学者の高森明勅氏はこう語る。
「実は、神武天皇から第九代の開化(かいか)天皇までは、伝承上の天皇と言われています。一方、考古学的に見ると、この時代に政治的中心が九州地方から大和方面に移動し、大和朝廷がスタートしたのが奈良県だったというアウトラインは神武天皇の伝承と被っています。ただ、『古事記』によると、神武天皇は137歳で崩御したとあり、メチャクチャ長寿(笑)。しかも神武天皇は当初は大和入りを果たすことができず、和歌山のほうに逃げた後、熊野へ上陸。しかし、土地の神の毒気にあたり全軍が倒れてしまい、結局、神様に助けてもらって蘇るとされている。つまり、神武天皇は100戦不敗みたいな軍事的に卓越した有能なリーダーではなかった。そう考えると、古代の日本人は天皇に対し軍事的、政治的有能さを求めていたのではなく、神に祝福を受ける存在であるかどうかを重要視した。それが大和朝廷初代のリーダーに対する古代日本人の理想であり、神武天皇に投影された彼らの思いだったのかもしれません」
大和朝廷の初期には日本武尊(やまとたけるのみこと)の父とされる景行(けいこう)天皇や王統の断絶を救った継体(けいたい)天皇などが登場。