槍一本で伊勢守!幕末三舟の一人・高橋泥舟のまっすぐな生き方が美しい! (3/4ページ)

Japaaan

槍一本で伊勢守!その不器用で直向きな忠節

さて、海内無双の槍術を見込まれた泥舟は幕府の武芸訓練所である講武所の槍術指導や、清河八郎の策謀によって解体された浪士組を新徴組(しんちょうぐみ)に再編、その取締役を務めるなど、暗雲立ちこめる幕末期において重要な役割を果たします。

そんな実直な働きぶりが一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ。後の徳川慶喜)の目に留まり、その側近として文久三1863年の慶喜上洛に随行。従五位下伊勢守(じゅごいげ いせのかみ)に叙任されます。

槍一本で伊勢守に(イメージ)

この時のことを、後に勝海舟は「(泥舟は)物凄い修行を積んで、槍一本で伊勢守になった男さ。あんな馬鹿は最近見かけないね」などと評していますが、平素から地道に直向きに槍術の修行に打ち込み続けることこそがご奉公の道と信じた、泥舟の不器用な誠実さが偲ばれます。

その後、慶応二1866年に幕府の警護部隊である遊撃隊が組織されると剣客として高名な榊原健吉(さかきばらけんきち)らと共に頭取を務め、倒幕の機運に備えますが、いざ慶応四1868年の戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)に敗れてからは慶喜に官軍への恭順を説得。

そして降伏後、官軍の総大将たる西郷隆盛(さいごう たかもり)との交渉の使者に推薦されたものの、慶喜はこれに反対。

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