愛するためにも愛されるためにも、必要なのは自信ではなく、覚悟です (2/3ページ)
つまり僕たちはみな、「愛されることで生きていける」ということを学習しているわけです。
そして同時にこの学習によって、「愛されなければ生きていけない」という呪いを自分にかけてしまうのです。■真の自立とは「愛されることへの放棄」
一方で、僕の周りにいる「“依存”という言葉を1mmも感じない自立した人」たちをみると、彼ら・彼女らは「愛される」という発想をそもそも持っていません。
あくまで自分が「この人だ」と決めた人を自らの意志で愛そうとしているのです。
そこに「運命的な出会い」の概念もありません。愛すべき対象が見つかったから愛そうとしたわけではなく、愛そうとしたから愛すべき対象になったのです。
そこで僕は、真の自立とは、子どもから大人になる過程で「愛されなければ生きていけない」という呪いを捨てることなのではないか、と考えるようになりました。
僕らはどこかで「幸せになること」をゴールに置いているように思います。
「幸せになりたい」→「愛すべき人を見つけたい」→「そのためには自分を愛せるようになりたい」→「悲観的な考え方を直さないと」・・・そんな風に逆算しています。
ところがこの思考は「愛すべき人さえ見つかれば幸せになれるはずだ」という短絡的な考えに至る危険性があるのです。
誠に残念ですが、愛すべき人が見つかった人の生活は「圧倒的なまでの日常の連続」です。
毎日23時までパソコンに向かって原稿を書き、近い将来生まれてくる子どものための引越しを考え、不動産屋に文句を言いながら、スーパーの特売日でお魚を買う。
ドラマチックな毎日でも「愛で満たされている」毎日でもありません。
しかし、その毎日に絶対的な安心感がある。それが(僕が今のところ感じている)幸せの正体です。