愛するためにも愛されるためにも、必要なのは自信ではなく、覚悟です (1/3ページ)

ハウコレでも何度も取り上げてきた「愛されること・愛すること」というテーマ。
僕はここでは『自分に自信がなければ人を愛することができない。なぜなら人を愛するためには、まずは自分を愛する必要があるよ』と説明きました。
しかし、最近妻とのコミュニケーションをしていく中で、「誰かを愛するのに自信は必要ないのでは?」と思うようになりました。
僕はハウコレでは一貫して“愛は主体的でなければならない”と主張してきたつもりです。
なぜなら、愛されることを目的に生きてしまうと、自尊心や自己肯定感を他者に依存することになるからです。
「愛されること」を期待して生きるとうまくいかないので、
「自分を愛する」→「自分を満たす」→「その後相手を満たす」→「相手が満たされると相手も愛してくれる」→「自分もさらに満たされる」
というサイクルを回そう、と説明していたわけですね。
しかし、よくよく自分のことを振り返ってみると、僕は妻に対してそんなサイクルを回そうなんて思ったことは一回もないんです。
ただプロポーズした時に「この人のことを愛そう」と決めただけなんです。
そのとき自信はむしろなかったですし、そのために自分を満たそうなんて発想もありませんでした。
そこでもう一度「愛すること」「愛されること」について考え直すことにしたんです。
人は誰しも「愛されたい」という欲求を持っています。
それは子ども時代の、「愛されないと」生きていくことができなかった体験に根付いています。
子どもが生を受けて独り立ちするのはほぼ不可能であり、「世話を焼いてもらい、ご飯を食べせてもらい、構ってもらう」ことで生命を維持しようと考えます。