皇位継承で話題となった三種の神器は神道の葬儀(神葬祭)でも用いられる

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皇位継承で話題となった三種の神器は神道の葬儀(神葬祭)でも用いられる

元号が令和に変わり、天皇陛下の退位と新天皇の即位に伴って、皇居での式典で何度も登場した「三種の神器」。テレビを見ながら、厳重なケースに入れられ大切に運ばれる三種の神器に、関心を持った方も多いのではないだろうか。昭和の時代に、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が家電の三種の神器と呼ばれたように、三種の神器と言う名前は知っていても「実際の三種の神器って何?」と聞かれると、即答出来る人は少ないだろう。そんな三種の神器について、少しご紹介したい。

■「三種の神器」の歴史

三種の神器とは、解りやすく言うと、天皇家に伝承される、皇位を表す宝物である。そのため、天皇が退位すると、三種の神器は新天皇に継承される。

三種の神器は「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の三つから成り、全て古代の太陽神、天照大神(あまてらすおおみかみ)に捧げられた物である。

天照大神が、弟の建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)との仲違いから天岩戸に引きこもり、世界が闇に包まれた時、神々は岩戸の前で宴を開き、天照大神を誘い出そうと考えた。その時に作られた鏡が八咫鏡で、宴が気になった天照大神が岩戸を開けた時、差し出された鏡に映った姿をよく見ようとして表に出てきて世の中に光が戻る。装身具である八尺瓊勾玉も、その宴の時に作って飾られたものだ。草薙剣は、天照大神の弟、須佐之男命が8つの頭を持つ怪物ヤマタノオロチを退治した時、その尾から出てきた剣だ。草薙剣は、その後、天照大神に献上される。天照大神は、この3つを孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に継承し、瓊瓊杵尊は日本初の天皇、神武天皇の曽祖父であるため、こうして、鏡、剣、勾玉の3つは、後の天皇家に受け継がれる三種の神器となった。

■神道の死生観

三種の神器は、現在でも神道の葬儀で装飾品として使用されている。仏教伝来以前、日本は八百万の神を崇める自然崇拝の国であった事から、神道の葬儀は仏式の葬儀とは大きく異なっている。

まず、神道では葬儀の事を「神葬式・神葬祭」と呼ぶ。仏式の葬儀は、故人を仏様のいる極楽浄土へ送るためのものであるが、特定の神様を持たず、山、川、森といった自然、そして人を崇めて来た神道の神葬式・神葬祭は、故人を家を守る氏神様とするための儀式である。

神道では「死」は穢れ(けがれ)、不浄とされているため、神葬式は穢れを清めるために儀式でもある。その他、仏式との主な違いは、数珠は持たない、御香典袋の表書きには「御玉串料」や「御神前」と書く。戒名はなく守護神となるための「諡(おくりな)」を付ける、位牌はない、など。参列者が榊の木に「四手(しで)」と呼ばれる紙を結んで作った玉串を祭壇に奉納する「玉串奉奠」は仏式のお焼香に当たり、三種の神器をはじめとるす様々な道具を祭壇に飾るところも仏式との大きな違いだ。

神道の死生観の中心は「家」であり、仏教伝来以前から先祖崇拝の概念を持っていた。日本の仏教における先祖供養は、神道の影響が大きいと言える。

■未だ謎に包まれる三種の神器

三種の神器は現在、八咫鏡は伊勢神宮、草薙剣は熱田神宮、八尺瓊勾玉のみが皇居内に祀られている。そのため、皇居での式典で使用される八咫鏡と草薙剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれるレプリカであるが、レプリカも本物同様、神聖なものとして大切に安置されている。

紀元前からの長い歴史の中で、皇位継承を主張する平家が安徳天皇と三種の神器と共に海に没した壇ノ浦の戦いや、伊勢神宮、熱田神宮の火災、また、昔から見てはいけないものとされ、現在でも皇族ですら本物を目にした事がないと言われている事から、その存在については今も多くの謎に包まれている。

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