天才テリー伊藤対談「PANTA」(1)学生運動の時には親父が敵になった (2/2ページ)
もう詞と音楽のセンスに驚いちゃったわけですよ。「同じ年で、先鋭的なカッコイイ音楽を作っている」っていうのは、肌で理解できるんですよ。でも、それを咀嚼できない自分の弱さみたいなものを当時感じていました。どうして、こんなにとがった音楽を、あの若さで生み出すことができたんですか。
PANTA 何なんでしょうね‥‥やっぱり育った環境なんでしょうか。自分の親父は、アメリカ軍の所沢基地勤務だったんですよ。そこの軍曹がハーモニカで吹いてくれた「ケンタッキーの我が家」が音楽の原点なんですよ。小学生の時にはエルビス・プレスリーの初期音源をあさっているような子供でしたから。
テリー ハハハハ、そんな子供、当時いませんよ。えらく早熟ですね。
PANTA 14歳でビートルズと出会い、その後はストーンズ、アニマルズ、そして18歳でブルースにハマっちゃうんですね。でも、稚拙な頭なりに「このブルースってやつは、極東のガキがやっちゃいけないものだ」と思って、捨ててしまったんですよ。
テリー やっちゃいけないっていうのは?
PANTA アメリカ・黒人の歴史に根づいた音楽ですからね。形だけまねてもしょうがないわけです。自分には、自分の言葉で伝えたいことがありましたし、それは日本語で歌いたかったから。
テリー それってその頃、学生運動をしていたことも関係あるんですかね。
PANTA テリーさんもですよね? 僕が入った関東学院大学は、ラグビーと赤軍派で有名でしたから、ヘルメットをかぶって火炎瓶を投げて、「戦車輸送阻止!」なんて言って、相模総合補給廠から横須賀まで戦車輸送しているのを、国道16号線をバリケード封鎖して、邪魔したりしていました。でも、その戦車輸送の指揮をしていたのが、実は親父だったんですよ。
テリー ワハハハ、すごい話じゃないですか!
PANTA あとで「てめえ、CIAを舐めるんじゃねえぞ!」って怒られたんですが、そんな説教を食らう家庭なんて、めったにないですよね(笑)。