戦慄の「アイドル襲撃」実録60年<80年代の衝撃編>小泉今日子の非常事態を中森明菜が救った

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戦慄の「アイドル襲撃」実録60年<80年代の衝撃編>小泉今日子の非常事態を中森明菜が救った

 松田聖子の登場で勢力図が大きく変わった80年代のアイドル戦線。過熱するファンは、時にとんでもない行動に出た。

 芸能レポーターの石川敏男氏が振り返る。

「印象深いのは、松田聖子(57)が沖縄公演の時、暴漢に殴られたことだね。偶然テレビ中継が入っていたから、ワイドショーでも映像を繰り返し使っていたよ」

 83年3月28日、沖縄市営体育館でコンサートを開いていた聖子が「渚のバルコニー」を歌いだすと、最前列にいた19歳の男がステージに駆け上がり、約30センチのスチール金具で聖子を急襲。必死に頭を押さえた聖子だが3発が命中、全治1週間の軽傷を負った。

 聖子は4月5日にステージ復帰するが、以降、沖縄へは24年間も訪れることができず、「渚のバルコニー」を歌うとトラウマに襲われる日が続いたという。

 聖子らの80年組と匹敵する黄金世代が82年デビュー組。そのトップにいた小泉今日子(53)は、新人歌手の登竜門だった「新宿歌謡祭」に出演中、客席から投げられた生卵が命中する事態に見舞われる。

「恐怖で固まってしまったキョンキョンをすぐに袖へ連れて行って介抱したのが中森明菜(53)です。以来、キョンキョンは明菜を唯一の信頼できる同期と認めました」(アイドルライター)

 その明菜も88年、生放送の「歌のトップテン」(日本テレビ系)で歌っている最中、侵入してきた23歳の不審者に大学ノートを投げつけられた。

「明菜がテレパシーでオレを呼んでいる」

 男は、警察の事情聴取で意味不明の言葉を並べたそうである。

 85年にデビューした西村知美(48)は、家族が巻き添えを食った悲痛な経験をしている。89年11月18日、山口県宇部市にある西村の実家に熱狂的なファンが訪れた。男は留守番をしていた西村の姉に刃渡り30センチのナイフを突きつけ、「知美さんに会わせろ!」と脅迫。さらに男は「一緒に東京に会いに行こう」と西村の姉を拉致して、車の後部座席に監禁。機を見て、広島付近で姉は車から脱出し、男も逮捕される。

 事件を知った西村は、憔悴しきった様子で怒りをあらわにした。

「ファンの域を超えてしまった人がいるのは残念です。二度とこんなことが起こらないでほしい」

 精一杯のメッセージであろう。そんな西村の1年後輩で86年にデビューした本田理沙(48)は、壮絶なストーカー被害にあったことを告白している。

「住んでいたマンションのエレベーターでストーカーと2人だけになり、上半身の服を下着ごと全部めくられて、胸を触られ続けました。しかもナイフを持っていたから『あ、死ぬな‥‥』と覚悟しました」

 幸い、同じマンションに住む小学生がエレベーターのボタンを押したため、男は逃走し、事なきを得た。その後、別のマンションでも風呂場の小窓の網戸を切り取って男が侵入。恐怖におびえた本田は、26歳にして引退を決意する。

 同じ侵入事件でも、まさかのホテルマンに忍び込まれた経験を持つのは田村英里子(46)だ。95年6月、豊橋市のホテルに泊まった田村は、明け方に物音がして目を覚ますと、見知らぬ男が部屋を物色している。

 田村は泣き叫び、その声で隣の部屋で寝ていたマネージャーが駆けつけ、男は逃走。ホテルの従業員であることが発覚したばかりか、実は田村の熱狂的なファンで「寝顔が見たかった」と供述。田村はショックで、その日のイベントを含め、1週間も仕事ができない精神状態となった。

 最後は84年に子役デビューした安達祐実(37)の悲劇を。94年12月21日、収録中だった日本テレビへ「安達祐実様」宛ての封筒が送られた。事務所スタッフが開封すると封筒が爆発し、そのスタッフは左手親指を失う重傷を負う。

「僕は日テレで番組をやっていたから、大変なことだと思ったよ。あれからテレビ局への人の出入りも格段に厳しくなったね」(石川氏)

 まだ幼い安達自身の命も危機にさらされたのだ。

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