天才テリー伊藤対談「小林清志」(2)黎明期の吹替現場は大変でしたね! (1/2ページ)
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小林清志
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週刊アサヒ芸能 2019年 6/6号
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声優
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テリー伊藤
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映画
テリー 今は声優といえば花形のお仕事という印象ですけれど、当時はどうだったんですか。
小林 今はもう別に気にすることはないけど、その頃だと「なんだお前、俺は声優じゃねえよ!」なんて言っていたもんでね。
テリー なるほど、声の仕事も含めての“役者”という意識だったんですね。当時の吹替仕事といえば、「ローハイド」「ララミー牧場」みたいなアメリカのテレビドラマですよね。ギャラはいっぱいもらえたんですか。
小林 そんなによくないですよ。たしか当時で3000円ぐらい。忙しいヤツはそれを何本も掛け持ちする感じで。
テリー いやいや、たぶん当時の大卒の月給が3~4万円ですから、1日で3000円ってすごいですよ。
小林 そう言われると、もっと安かったのかな? とにかく最初の頃は全然ダメ、端役だから。「コンバット!」の兵士A・Bみたいな、そういうのばかりでしたよ。
テリー ああいうのって、A・Bってセリフを振り分けていても、同じ人がやっている時がありますよね。
小林 ええ、当時は吹替の現場なんて役者の扱いも雑だし、実にいいかげんなものでしたよ。録音スタジオなんかも地下のひどいところにあって、その中にマイクが1本だけ天井から下がっている。収録時には役者が順番に上を向いてパクパクやるんです。ちょうど金魚がエサを食べるみたいな感じですよね(笑)。
テリー アハハハ、マイクの奪い合いだ。
小林 そうそう。しかも役者が大勢いるから、マイクの下に急いで入るのが大変で。俺はあまり経験がないんだけど当時は生放送での吹替もあって、聞いた話だと、自分の場面でマイク下に行くのが間に合わなくて、男性が出ているシーンなのに女性が代わりにそのセリフをしゃべったって。