江戸時代は妻側から離婚できなかった…ならば寺に駆け込むしかない!「駆け込み寺」の仕組み (1/3ページ)

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江戸時代は妻側から離婚できなかった…ならば寺に駆け込むしかない!「駆け込み寺」の仕組み

江戸時代の女性には離婚権がありませんでした。そのため、妻が離婚したいと思っても非常に難しい時代だったのです。

武家時代の封建制度では、男尊女卑の風習が濃かったのでしょう。しかし、そんな妻たちを助けてくれたのが、縁切り寺とも呼ばれる「駆け込み寺」でした。

今回は、離婚したい妻たちの味方になってくれた、幕府公認の駆け込み寺についてご紹介します。

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縁切寺とも呼ばれる駆け込み寺とは?

江戸時代の駆け込み寺と言えば、「鎌倉の東慶寺」と「群馬の満徳寺」がありました。江戸時代以前も駆け込み寺はありましたが、幕府公認になった寺は東慶寺と満徳寺のみです。

東慶寺は縁切寺として、現代でもパワースポットになっています。縁を切ることで、新しい良縁を呼び込んでくれることを願った女性たちの人気スポットなのです。

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