帰国は許されるのか…?10年に及ぶサバイバル生活。江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯 その4 (1/2ページ)
前回に引き続き、江戸時代の漂流民、大黒屋光太夫の過酷なロシア漂流物語についてご紹介します。
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何が何でも帰国しなければ…10年に及ぶサバイバル生活。江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯 その3 ラックスマンとの出会い光太夫が紹介されたキリル・ラックスマンは、高名な博物学者として、政府高官ばかりか女帝エカチェリーナ2世とも知遇を得た人物でした。彼は光太夫らの話を親身になって聞いてくれた上、衣食住を支援してくれる事になりました。日本人学校への仕官を断ったために、ロシアからの補助金を打ち切られて窮した光太夫らは、金銭面でもラックスマンの支援を受けつつ、更にラックスマンの手で3度目の帰国願いを提出してもらったのでした。
しかし待てど暮らせどその帰国願いの返信はなく、このままでは拉致があかないと考えたラックスマンは、自身がエカチェリーナ2世に拝謁する場に光太夫を連れて行き、直接帰国を嘆願する事を提案します。
女帝エカチェリーナ2世に拝謁ようやく一筋の希望が見えてきた寛政3年(1791)正月明け、生き残った仲間の中では一番年上だった九右衛門が病死。悲しみを堪えて、光太夫はラックスマンに伴われてペテルブルクに向け出発します。
途中、ラックスマンの大病で思ったように旅程が進まず、5月にようやく女帝の居る避暑地ツァールスコエ・セロの宮殿に到着。そして運命の6月28日、ついに光太夫は女帝エカチェリーナ2世に拝謁したのです。