幕末時代、カネ目当てで浪士組に入った「偽志士」コンビの末路とは?

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幕末時代、カネ目当てで浪士組に入った「偽志士」コンビの末路とは?

幕末時代、多くの志士たちが日本の行く末を思って全国各地を東奔西走し、数々の歴史ドラマを生み出したのは今日よく知られるところです。

幕末の志士たち(海援隊)。Wikipediaより。

しかし、そんな志士たちも喰わねば生きていけない訳で、主君からの扶持も満足な生業もない浪人たちは、その多くが大なり小なり経済的な支援を受けていたことでしょう。

とは言え、いつの時代も自分の生活で手一杯なのが庶民というもの。いくら天下の大義だ尊皇攘夷だと謳ったところで、そんな心意気に応えて快く支援してくれる奇特な方はなかなかいません。

また、日本のためになるなら……と、苦しい中でも支援してくれる善意につけ込む詐欺なども少なからず横行していたようで、そうした卑しい手合いは今も昔も変わらずいるようです。

今回はそんな「偽志士」たちのエピソードを紹介したいと思います。

浪士組にゴロツキ二人

時は幕末・文久三1863年2月、第14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)の上洛に随行してその身辺警護や不逞浪士の取り締まりを目的とする「浪士組(ろうしぐみ)」が結成されましたが、身分の貴賤や行状などを問わず募集したため、メンバーの中には必ずしも志の高いばかりではなく、食い詰め者や兇状持ちなど「むしろこいつらが『取り締まられるべき』側ではなかろうか」という者も少なからずいたようです。

※実は、浪士組は「江戸を騒がす破落戸(ゴロツキ)どもを体よく一掃する」という裏の目的があったのでは、という説もうなずけます。

その中に雑じっていたのが今回の主人公である神戸六郎(こうべ ろくろう)と岡田周造(おかだ しゅうぞう)。その生い立ちや浪士組に参加する前の経歴は不詳ですが、その後の行状から察するところ、まっとうに働いて暮らしを立てていたとは考えにくく、江戸近辺でぶらぶらとその日暮らしをしていたのでしょう。

そこへ浪士組の話が舞い込み、報酬目当てで参加したまではよいものの、いざ京都に着いてみると、浪士組の発起人である清河八郎(きよかわ はちろう)が、何やら不穏なことをのたまいます。

清河八郎。Wikipediaより。

「これから諸君らには、尊皇攘夷の魁(さきがけ)として江戸に向かってもらう」

それを聞いた浪士たちの動揺は想像に難くありませんが、「だったら最初から江戸に居りゃあよかったじゃないか!」……六郎も周造も、多分そう憤ったことでしょう。これではとんだ骨折り損です。

しかし、清河にしてみれば将軍警護という大義名分と、わざわざ上洛して見せるというパフォーマンスがなければ、幕府から軍資金を騙し盗れないと考えたのかも知れません。

この決定に不服を唱え、京都に残留した近藤勇(こんどう いさみ)や芹沢鴨(せりざわ かも)らが後に新選組(しんせんぐみ)を結成、大活躍するのは有名ですが、ともあれ話は六郎と周造。

商家に押し入って金品を……乱暴狼藉の末に

「……おい、どうする六郎?」

「どうもこうもねぇよ、カネが貰えなきゃ、京都で乞食でもすンのか?」

元々カネ目当てで参加したのですから、清河についていくよりなく、志一つで京都に居残るなんて酔狂は考えつきません。

……という訳で仕方なく江戸に戻ってきた浪士組ですが、これと言ってすることもなく、さりとて満足にカネも入らない中、浪士たちの不満は募るばかり。

古来「小人閑居して不善をなす(大意:志のない者がヒマを持て余すとロクなことをしない)」とはよく言ったもので、喰うに困ればやることはだいたい相場が決まっています。

生活(遊興費を含む)資金の自己調達……世間一般では「強請(ゆすり)」とか「恐喝」などと呼ばれる実力行使です。

凶行に及ぶ神戸六郎&岡田周造(イメージ)

「おらぁ!こちとら勤皇の志士様だぞバカヤロウ!」

「天下の為にカネが入用なんじゃ疾々(とっと)と出しやがれコノヤロウ!」

……たとえ自称であっても形ばかりは武士ですから、その目印とばかり腰に差したる大小の刀をちらつかせたりスッパ抜いたり、商家に押し入って金品を奪って遊興三昧……こうなると、もう強盗と何も変わりません。

元々お行儀の悪い連中の集合体ですから、何もこうした乱暴狼藉は六郎と周造に限らなかったでしょうが、この二人は殊更目に余ったのでしょう。

両国橋に晒される首級(右上)。月岡芳年「近世奇説年表」文久三1863年4月

文久三1863年4月10日、ついに六郎と周造は斬首され、両国橋のたもとに晒されたそうです。

ついでにその三日後(4月13日)、清河八郎が同じ浪士組の佐々木只三郎(ささき たださぶろう)らに斬られたことで江戸での攘夷運動は未然に阻止され、浪士組は新徴組(しんちょうぐみ)へと再編されていくのでした。

清河の死は二人が斬られて間もなくの事なので、もしかしたら六郎と周造は清河の側近となっていて、清河の力を削ぐために斬られたのかも知れません。

終わりに

誰もが日本の激動を感じていたであろう幕末の時代にあって、一人ひとりのとった行動や選んだ生き方は千差万別、世の役に立ちたいと志に賭ける者がいれば、ただ目の前の利益に駆けずり回る者、そして時流に翻弄されることなくしっかりと地に足をつけ、地道な暮らしを営み続けた者もいました。

いずれも共通しているのは、どこで何をしていても、それぞれ自分の人生を精一杯生きていたという事実。

立派な人物がいる一方で、普通の人も面白い奴もロクデナシもいて、彼らのような偽志士もまた、百花繚乱の幕末時代を彩る徒花として愛でて頂けたらと思います。

※参考文献:
黒鉄ヒロシ『幕末暗殺』平成十1998年9月

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